2012年3月12日月曜日

インドシリーズvol.10


7/19 カルカッタ1日目

まずは昨晩電車での話から。

一緒のコンパートメントだった例の日本人の男、この男がとてつもなくウザかった。

まず声が小さくて聞こえない。そして一晩中自分が行ったタイやベトナムのソープの話をし続けていた。他人のチャラい自慢ほどどうでもいいものはない。(興味が無いわけではないが)

終いには「韓国人はウザい」とか言い出し、夜雨が降ってたくらいでガチなトーンで「クソ雨!」って叫んだりし始める始末。手に負えねえ!

それまでオモシロくて尊敬できる旅人に恵まれてきたこともあって、この男には本当に嫌気がさした。

旅の醍醐味のひとつは「出会い」だと思っているが、時にはこういうエンカウンターもある。みんながみんな理想や夢や情熱を持ってるわけではないし、それを前提にしてはいけない。それを体験できた、って意味で勉強にはなった・・・かも。・・・でも許せねえアノヤロウ!



カルカッタには約2時間遅れで列車が到着。「インドの交通機関は遅れるもの」って予め思っとくと心に余裕ができることを発見。と同時に日本の公共交通機関の偉大さに感服。

カルカッタ駅は大きい。今までの駅の中で一番デカイ。23番線まである。

街はどことなくイギリス風な雰囲気を放っている。植民地時代の名残だろうか。道路には人力車の姿がなく、黄色いタクシーか自家用車が庶民の足であるようだった。

さっそく駅前で待機していたタクシーを1台つかまえ、安宿街と名高いサドルストリートへ。値段交渉でゴネられるが、もうこの手のトラブルは慣れっこ。そして何故か例の日本人と相乗りするハメになってしまった。

車窓から見るカルカッタの街は、僕のイメージしていたそれとはかなり違っていた。

「貧困国インドでも貧しい都市カルカッタ、道は浮浪者や乞食で埋め尽くされ、ゴミだらけの道端からは下水の汚臭がする。治安は悪く、ゴミ捨て場に赤ん坊が捨てられていることも珍しくない。」

それが僕がこのカルカッタという街に対して抱いていたイメージだった。日本で読んだ十数年前に出版された書籍には、そんな考えられないような光景が描写されていた。

だが現実のカルカッタは、綺麗とは到底言えないが、きちんと整備された道路や商店街、人々の服装を見る限りで、それまでに訪れたインドの街々よりもいくらか気品が感じられた。

SUBWAYがあった。




100mほどの安宿通り・サドルストリートの角にある美術館前でタクシーを降り、どんより曇った灰色の空の下、目星をつけていた今晩の宿「パラゴン」を目指す。

道端の露天やゴミを眺めながら、けたたましいクラクションの音にインドを感じつつ、一本入り組んだ路地に目的地を発見。入り口脇でストールなどを旅行者に販売していたインド人オヤジを横目に早速チェックイン。

パラゴンは比較的部屋数の多い安宿で、屋上に広い洗濯スペースが設けられていた。僕の部屋は3階のドミトリーRs90。小汚い黄緑色に塗られた壁の部屋にベッドが6つほど敷き詰められていた。

ルームメイトは今晩帰国する日本人女性、変な日本人のオッサン、フランス人のオッサン、若い兄ちゃんの4人+僕。軽く挨拶をした後外に出るとバラナシ駅で話していた韓国人の兄ちゃんがいた。「まあ会うだろうな」とは思っていたが、旅の道中の再会は嬉しいものだ。



荷物を部屋に置き、とりあえず腹ごしらえ。パラゴンの近くにあるBLUE SKY CAFEという大衆食堂で卵焼きを食べた。インド料理にやや食傷気味だった僕の胃が喜んでる。

食堂には旅行者が多く、欧米人からアジア系、旅の蔵人からビギナーまで、様々な人で賑わっていた。

一人で腰掛け卵焼きをつついていると変なインド人オヤジが向かいの席に座ってしきりに話しかけてくる。チョコ(大麻のこと)売買の仲介人らしく、ウザさマックス。買わねーっつの。インドではマリファナが手に入りやすい上に破格の値段で売られていることが多い。旅行者は愛好者が多い(それ目当てで来る輩もいるくらい)ので、かっこうのターゲットなのだ。

オヤジの「チョコ買えチョコ買え」攻撃をかわしつつネットカフェに逃げ込む。インド都市部にはどこにでもインターネットカフェがあり、1時間いくら、といった形で使うことができる。日本語表示可能なwindowsXPもあったりと、意外にネット環境は良い。

gmailを開くとダイスケからメールが。「無事デリーに着いた」とのこと。よかったよかった。続けて画面をスクロールするとROSE氏からのメールがあった。

インド人のROSE氏はボランティアのオーガナイザー的な人。僕の地元新潟の小針に住んでいる片桐さんという老夫妻が、親をエイズでなくした子やストリートチルドレンのための学校設立の支援をされていて、その仲介役・現地コーディネーターとしてROSE氏は働いている。

今回の旅の目的の一つが、片桐さん夫妻が「NEW HOPE」と名付け巨額の資金を投じられたその学校を訪問することで、出国前に片桐さんと始めてお会いしたときに視察を頼まれていた。

僕自身、ただ「楽しかった・綺麗だった」で終わってしまう旅は嫌だったのと、いわゆる発展途上国での教育支援・学校設立に興味があり、二つ返事でNEW HOPE訪問を決めた。

そのためROSE氏とは、NEW HOPEまでのアクセスや訪問の日程について連絡のやりとりをしていた(というか実際はするはずだったのにずっとメールが来てなかった)。メールには「明日の夜行列車でビシャカパトナム駅まできてくれ」との旨と、連絡先の電話番号が書かれていた。

夜行列車に10時間以上揺られてきたので流石に疲労を感じたが、善は急げ、ダルい体を列車のチケット売り場へと運んだ。



この日はパレードでもあったのか、道路がめちゃくちゃ混んでいた。ストライキでもしてるのか、行進している軍団も見かけた。

迷いに迷ってようやく辿り着いたチケットオフィス。列に並び30分待ったが「ナンバーシートを持ってない」と一蹴。最初に言えよ!

再び並びなおし待つこと数十分、やっと順番が回って来た窓口で今度は「外国人は別のオフィスだ」と一蹴。さっき言えよ!

あまりにイライラしたので場所だけ確認し一旦宿へ戻った。体調悪いときと疲れているときって、得てして心にゆとりが持てない。インドを気持ちよく旅するコツの一つは間違いなく「ムカついても笑うこと」だろう。不思議なもんで、客観的に自分を笑うと少し心が楽になる。おおらかすぎるインド人に優しくなれる魔法のような技だ。

と、そんな余裕すらなかった当時の僕は、パラゴンの近くの旅行代理店でチケット入手を試みるも、Rs700とボリまくってて再びチケットオフィスに戻る羽目になった。爆発しそうだった。

オフィスに戻ると混み具合がさらにレベルアップしていた。根気強く粘り、ケンカなんかしながらも(他の旅行者に「take it easy!(落ち着けってw)」って言われるほど不機嫌だったようだ)、なんとか予定通りのチケット取得。窓口のオッサンはすごくイイ人で、「17歳の息子がいるんだ。君と同じ歳だな。」なんて話してた。こういう和む会話は万国共通なんだなあ、なんて思って笑った。ほんと、笑顔は人間関係の潤滑油。



宿に戻ったあと、一人で昼間と同じ食堂で食事。美味くも不味くもないチキンカレー。すっかり慣れ親しんだ味。

部屋で暇してると、同室の変な日本人のおっさんが話しかけてきた。いわゆる「沈没系」の方で、もう何年もこっちにいるぜみたいな雰囲気。会話の内容は記憶にないが、とてつもなくめんどくさかったことと数行の呪いの言葉が当時の手日記に綴られている。

部屋を出て、暇すぎて門番の警官と一緒にタバコ吸いながら会話。日本人グループがいたけど固まってて声かけづらい。虹色の髪を編みこみしてるぶっ飛んだ日本人女性がギター弾き語りしてる。何でもありだな。

2階のオープンスペースに上がると、例のバラナシの韓国人が。彼ともう2人の韓国人と一緒にビール飲みながらゆるーく語ってた。他の2人のうち1人は英語すごい上手な男で、NYの大学出たらしい。もう1人の女性は日本に留学したことある人で、英語まったく話せないのに単身カルカッタへボランティアしに来たとか。エネルギーすごいな。

左がNYの男、右がバラナシの男

しばらくすると同じ宿にいたフランス人のおっちゃんとそのアメリカ人の彼女も加わった。この2人は半年働いて半年旅して、ってのをもうずーっと繰り返してるらしい。そんな選択もあるんだなー。

フランス人のおっさんと、アメリカ人の彼女。すげえノリがよかった。

ただ自分の国にいては絶対に人生が交差しえない6人が、安いビール片手に、お互いのことを英語で語り合う、これほど楽しいことはない。当時17歳だった僕に、この夜は最高に刺激的だった。

瓶ビール3本飲んだあたりから完全に酔っ払った僕。韓国人のお姉さんに甘えていた。グローバル!

甘えるおれ。
疲れがたまっていたせいか、12:30には死んだように眠りに落ちた。

「旅、マジで楽しい」

心からそう思った夜だった。




にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村←クリックお願いします!

0 件のコメント:

コメントを投稿

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...