2013年4月19日金曜日

どこでもドア


中学生の頃だっただろうか、父に連れられとある長野県の山奥を訪ねたことがある。

市街地から離れ、山を這い蛇行を続ける道を進むこと数十分、不安になる程細くなり始めた道の先に小さな小さな村がひょっこり現れた。

父の知人である三池さん。氏はその昔タイ北部で青年海外協力隊員として活動された時に自給自足の暮らしに生き方を見出し、それを実践しようとこの長野の山奥でご家族と共に日々を営んでいた。

「人里離れた」という表現通りのその村は、現代日本にこんな場所があったのか、と驚かせる程、時間が静かに緩やかに流れる場所だった。そんな牧歌的な風景の中では、人は完全に自然の一部だった。冷蔵庫や洗濯機や、およそ文明の利器とでも呼ぶような「物」は見当らない。鶏の声で目を覚まし、汗をかいて畑仕事に勤しんで、鈴虫の合唱に耳を澄ませながら床に就く。シンプルすぎるほどにシンプルなライフスタイルだ。

時に猛々しい気まぐれな自然に全てを寄せる生活は、決して楽ではないだろう。が、そこには確かな「安心感」があった。そんな濁りのない自然に囲まれた暮らしに、当時の自分は漠然とした憧れと、真夏の蒼穹のように澄み切った生きている心地のようなものを感じたのを今でも覚えている。





ふと何気なく旅中の手日記を読み返してみた。一年前のちょうど今日、僕はエジプト初日だったようである。露店が所狭しと並んだ路地の段差に腰掛け、古着売りのおじいちゃんと野菜売りのオジちゃんの間でギターを弾き語ると、ビニール袋に入った黒い液体のジュースと煙草をくれた。どちらも馬鹿みたいにマズかったけれど、胃がふわふわするほど嬉しかった。

夕時、ナイル川沿いを散歩した。古びた鉄柵に寄りかかり、iPodから流れる音楽に耳を澄ませた。前日まで吹き荒れていた砂嵐の名残か、空気は少し白く淀み夕陽の輪郭は朧げだったが、16年ぶりのナイルの夕景には感じ入るものがあり、些か感傷に浸りすぎた。





4月8日に復学し、早くも2週間が過ぎた。今年で23歳にもなるのに、ピカピカの二年生である。実験室工事の関係で今年度のカリキュラムは大幅変更されており、朝から夜まで組織学実習・人体解剖実習と、ホルマリンの甘酸っぱい臭いが髪の芯までまとわりつくような毎日だ。

それなりに気軽に話せる友人もでき、それなりに久方ぶりの一人暮らしにも慣れた。志した道を本格的に進み始めている実感は小躍りする程嬉しいし、無為に漫然と生を浪費するのに比べれば遥かに幸せだ。そう、幸せだ。

ただ、あの長野の山奥の村で感じた充足感のような、一年前に路上で大声で歌いながら明日にワクワクしていたような、爽快そのものと言っても過言ではないそんな「リアル」は随分と遠のいてしまった。何かあと一つ、と思ってしまうのを止められないのはそれが原因なのかもしれない。





...と、なんだかんだ憂いたところで、自分が動かなければ変化など起こるはずもない。それは旅に於いても日本での「普通」な日常に於いても変わらない普遍の真理だ。

僕にとって、アフリカでの日々は他人にひけらかす自慢話でも無ければ、単なるしがみつくための思い出でもない。だが事実として、生きる悦びを感じた毎日は遠のき、記憶の風化は止められないでいる。

けれど、不思議と大学1年次の頃のような焦燥はない。この秋田の片隅の家賃36000円のボロアパートの扉は、アフリカに繋がっている「どこでもドア」なのだ。今はそれを知っている。よく見れば、ここにも確かな「安心感」はあるのだ。


今、此所で、自分が、何をしたいのか。「シンプルな声に身を委ね切ること」、数少ない自分の得意な事だ。まだ秋田は春もきていない。桜が咲くのはこれからなのだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...