2014年10月8日水曜日

オギノの来秋、物語と敵。




オギノという男がいる。高校時代の同級生で、同時期に休学・世界一周し、タンザニアではメルー山とキリマンジャロを共に登り、昨年末は結核にかかり体を張った笑いを提供してくれた。そんな彼が、3年ぶりに秋田にやってきた。

前回の秋田来訪時、夜通し語り合い生まれたのが「キリマンジャロ計画」だった(当時の記事→僕らがキリマンジャロを登ることになった経緯」)。その日から1年半後はホントに登頂を果たし、そこから更に1年半の月日が流れた。

オギノに会うこと自体はさほど久々でもないので、飲み会は「最近の互いの女事情」なんて俗な話題に始まったが、トップバリューのビールが3、4本空く頃には随分と酔いも進んで、改めてこの3年を総括してみたり、失敗談を挙げあったり、雑多の出来事に対する自分の論を展開したりした。要はよくある学生の夜の風景である。

そして、その晩語らった結果、なんとなくまとまった意見があるので、メモ程度に記してみることにする。題して、「物語と敵」だ。



【物語】



世の中にはスゴい人物がたくさんいる。その人たちの共通点として1つ挙げられるのは、「そこ」へ至った経緯に物語性があることだ。

例えば学生の頃のふとした経験が原点となったり、大きな失敗や挫折が次へ繋がったりと、そのパターンは様々ではあるが、往々にして聞いていて納得してしまう理由がある。

これまでの僕は、そこには必然性の存在が必須であると考えていた。が、最近になって、僕のような凡人にとって、物語をあとから組み立てる能力が重要なのでは、と思い始めた。

もちろん、多くの人が必然的に導かれたといって過言ではないストーリーを持っている。けれど、皆が皆、その分岐点たる経験に立ち会った瞬間に、全てを受け入れ見越すことができたわけではないのでは、と思うのだ。

伏線を張り巡らせ、振り返った時回収利用できるものは取り入れ、そんな人生スパンの取捨選択のふるいにかけられた出来事たちを、後々一つの道筋の上にきれいに並べてみると、現在の自分自身に重みと説得力が生まれてくる。つまり、何も皆がその時々で運命的に導かれたわけではなく、多かれ少なかれ事後の恣意的な介入があったのではないだろうか。

逆に、物語を作る方向に行為することは、何か事を成そうと思った時、有利に働くことは多いだろう。単に数を打てば後から選択できる物語の多様性は広がるだろうし、決め打ちすることが物語を円滑に運ぶこともあれば、時にはフィードバックが未知な方角へ足を向かわせた方が物語に色が加わるかもしれない。

物語性の選択が、あるいはその選択の基準を磨くのが、生きる上で要ると感じている。





【敵】



オギノと僕、そしてミハラは揃って司馬遼太郎「竜馬が行く」にハマっている。この歴史小説の魅力をここで長々と語ることはしないが、端的に言ってしまえば「幕末の志士が総じてイケメン」というのがこの作品の魅力の1つだ。

主人公の坂本龍馬以外にも、彼と敵対した人物や、歩みを共にした人物、主義主張を違えた人物、結局その多くは歴史の中に、時に無情にも散ってしまったのだが、その信じるものの正しさ云々の以前に、とかく真っすぐでイケメンで侍なのだ。

当然、現代の日本にも、侍と呼んで然るべき大人物はいる。しかし、本の1ページをめくるたびに震えるような、時代がおこす熱気や激動感を今感じるかと言われると、答えに窮さざるを得ない。

平成と幕末、何がそこまで異なるのか。違うことばかりの時代同士を比較するのはナンセンスだが、個人の意識レベルの話で、「敵」が分かりにくい・見つけにくい時代になったのが要因にあるのではないかと思う。

敵が明確な人物や団体ということもなくはないだろうが、現代におけるそれは例えば土地であったり現状であったり、立ち向うべき相手、という意味合いのほうが強いだろう。国際協力で有名な緒方貞子さんは著書で「自身の原動力は『怒り』だ」とおっしゃっていたが、その矛先は不条理という敵だったのではないだろうか。  

敵を知らないと戦はできない。手にする武器や、陣を敷く場所や、必要な仲間の数や、そういったものを具体的に吟味できるのは敵ありきだ。生涯をかけて立ち向うべきは何か、段階的に倒さなければならない中ボスは何なのか、学生時代という余暇に見つけるべきことの1つなはずだ。

そんな自分にとっての敵を見定めてゆくには物語がきっと必要で、あるいは真のそれを見つけた瞬間に振り返ってできた道筋が物語で、そんな風に両者は切り離せない。





 
酔いに任せて書き綴ったが、今の自分に当てはめてみると、物語はここ数年でそれなりに数打てたし、振り返ってみればなかなか使えそうなものもいくつかある。だが、やはりまだ敵が見えていない。漠然と「このへんかな〜」みたいな感覚はあるのだが、あと一歩が足りていない。

僕の在籍する医学科は6年制なのだが、前半2年はとかく物語作り、中2年は敵の発見、後半2年は闘うための牙を研ぐ、というのが、勉学の余暇のバランスの良い過ごし方なんじゃないかな〜と思っている。

今、僕は3年生になった。「やりたいこと」「目標」が更に高まった、そんな自分にとっての「敵」の存在。この探求は急務である。     

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