2011年7月31日日曜日

after the lecture...

どうもみなさんこんばんは。
みなさんって言えるほどの人が見てるとは思えないけども。笑

テストも一段落ついて、ここ数日刺激的な出来事がいくつかあって触発されたんで
頭の整理がてら考えてたことを吐き出してみようと思います。

























今日の夜はALVEの多目的ホールであった映像上映会・講演会に行ってきました。

題目は『世界にLink!〜つなげるつながり支援の”わ”〜』

1ヶ月くらい前にこれまたALVEでアジアンアフリカンフェスがあったんだけど
そのときにもらったチラシで今回の講演会を知りました。
んで、そのチラシの裏に、


「2011年3月11日。 東日本大震災発生。

日本が未曾有の災害に包まれた時、東日本のために、
日本中、そして世界中から、多くの支援の手が届いた。

『困ってる人を助けたい。』

国際協力も震災支援も、全ての始まりは、誰かの力になりたいという想い。
すぐ隣の街で、助けを必要としている人がいることも、
海を超えたと遠い国で、多くの人が病気で苦しんでいることも、
どちらも同じ空の下、ひとつの”世界”で起きていることだから。」


って書いてあって、
不覚にも、こう、これだよっ、ってなったんだよね。

おれ自身も前から、特に3月の震災から強く感じてたんだけど、
なんで東日本大震災にはみんなすごい敏感に反応するのに、
チリで落盤あったときやクライストチャーチでの地震、
もっと遡ればスマトラ沖地震のときは、
なんかこう、「動こう!」っていう雰囲気があまりなかったのかな、って。

別に今回の地震を軽視するわけじゃなくて
同じ空の下、海の向こうで、同じ人間が困ってて、
その事実には何ら変わりはないのに、
自分のことを棚に上げてるようだけども、
強い言い方をすれば、

どうしてそんなに無関心で”他人”でいられたの?

って。

だからこのチラシのフレーズ見た瞬間見に行ってみようと思った。
こういう自分のフィーリングは信じるようにしてるし。第六感。
直感的に何か学べると思ったんだ。




バイトがあったからディスカッションとかには参加できなかったんだけど、
カンボジアでのエイズについてのドキュメンタリー映画と、
それを監督した小川さんの講演は、
案の定刺激的で触発された。



カンボジアのエイズ患者と接しながら、
エイズって病気、さらにはそこに関与してくる社会問題に目を向ける、
っていう映画自体もすごい良質のドキュメンタリー
(映像・音響も素人とは思えないほど良かった)
だったんだけど、
何よりいい意味でショックを受けたのは
企画監督、葉田甲太さんという人の存在だった。


葉田甲太[ハダコオタ]1984年兵庫県生まれ。元、イベントサークル「GRAPHIS」代表。現、あおぞらプロジェクト代表。新潟中越沖自信において現地で1週間食料配布などのボランティアを行う。スマトラ島沖地震ではNGOのHuMAのプロジェクトに参加。2週間スリランカで、復旧作業を手伝う。帰国後、新潟中越地震ボランティア後、渋谷の郵便局で150万円でカンボジアに小学校を建つ事を知り、ボランティアを楽しむ事をコンセプトとし、イベントサークル「GRAPHIS」を結成。東京を中心に23大学54人の大学生メンバーと共に総勢3000人を超えるチャリティーイベントを開き、バーナード・クリッシャー氏と共にカンボジアに小学校を建てる。現在はあおぞらプロジェクトの代表。日本医科大学医学部4年生。2010年卒業予定


年齢も近いし、興味のある分野も近いし、それに何より同じ医学部生・・・
自分と同じような環境に身をおいて、在学中に本まで出版して、
ここまで行動的に動いてる人がいたなんて知らなかった。
自分が”おもしろい”活動できないのを環境のせいにしてるのが恥ずかしくなった。


もう1人の映画監督の小川さんも”おもしろい”人だった。

これも以前から自分の中で、

国内とか国外とか、そういうのに拘るとかちっせえ
みたいな思いがあったんだ。
国境なんてものは地図の上だけにしかないクソみたいな人為で
あるのはただ大陸と海で、
世界は思ってるよりもずっとずっとずっと広くて、
就職なんてまだ数年先の未来の僕たちにも、
最近企業が英語力を社員に求めてるみたいなニュースは耳に届いていて、
それが良いか悪いかは別として、
世界は物質的にも精神的にも距離を縮めていて、
たとえ将来どんなことをしようが、
国の枠を超えた繋がりはより日常的なものになってきていて、
そのときに国内がどーだとか国外がどーだとか
そういうこと喚いてるのは的外れなことで、
もっと大っきなくくりで世界を捉える、
それこそ地球市民的な物の見方が必要なんじゃないかな、

って。


小川さんはこのことを

「心の”フォルダ”をあげる」

って言葉で表現してた。

例えばパソコンのデスクトップに「日本」ってフォルダあったとして、
そこをクリックすると、「関東」とか「関西」とかでてきて、
さらにクリックしてくと各都道府県が表示されて、
それを続けてくと最終的に行き着くのは「個人」のフォルダじゃん?

で、

人と人が関わろうとするときに、
やっぱりフォルダの中身に共通項があると親しみやすかったりするじゃん?
親近感みたいな。
それは感覚的にわかってもらえると思うんだ。
でもこの多元的にグローバル化が進行している世界において、
きっといつか、もしかしたら全くフォルダが共有できない人と
話したり仕事したりするかもしれないじゃん?
平たく言えば、価値観が異なる人との接触。

そのときに自分のフォルダってやつを1個あげるスキルを身につけよう
って話だったんだ。

「日本」ってフォルダを1個あげれば「東アジア」。
「東アジア」ってフォルダを1個あげれば「ユーラシア」。

それをどんどん繰り返してけば、
最終的に行き着くのは、「個人」とはある意味対極にある「世界」ってフォルダ。

そんな感じ。

具体的にどうやって ってのはまた別の話だろうけど、
その意識っていうのは大切だと思うし、
自分の思考がまた1つ綺麗な言葉でまとめることができた。

「心のフォルダをあげる」

うん。





葉田さんと小川さんは色んな組織に属しながら、
周囲をもちろんイイ意味で巻き込みながら活動していて、
それを今日見聞きして、
前にやご(彼のことはまた後日日記に書きます)とちょこっと話した、


「若い世代が動くことの重要性」

ってのも強く感じた。
学生だからどーとかじゃなくて、
やっぱり若さ故の特権みたいなのは少なからずあると思うし、
これからの世界を担ってく各々が自分のリーダーシップを育てるってのは、
社会的にも人間的にも必要じゃないかなと。


ちょっと抽象的すぎるからまた今度これは書こうかなー。


(ちなみにおれの意味する「リーダーシップ」ってのは元世銀副総裁の西水さんの影響かなり受けてます。)


























もうすぐ大学初の夏休みにはいるわけだけれども
ほんとにダラダラしてるような時間はないな、って再実感。

おれもどんどん行動したい。もっともっと人を巻き込んで知的な創造をしたい。

”おもしろい”人や本に出会って刺激を受けたい。自分のスキルを増やしたい。

そんなイイ刺激を受けた講演会でした。

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