2012年10月27日土曜日

ザンジバル~イスラム路地と友の船出~


タンザニア沿岸東部に浮かぶ群島、ザンジバル。10世紀ごろからアラブ商人が定住を始め、大航海時代にはポルトガルの占領を受けた。後にオマーン、イギリスへとその支配が変遷する中、アフリカからの奴隷・象牙・金などの輸出、東西交易の中継、クローブの栽培などで栄えた島だ。ストーンタウンは首都ザンジバルシティの旧市街地であり、支配層であるヨーロッパとアラブ双方から文化的な影響を受け、その3階建て以上の石造建築が連なる町並みは、東アフリカ地域において特異な歴史的景観をなしている。






ジャンビアーニから「ダラダラ」と呼ばれる兵隊の護送車のような車に乗り約2時間、ザンジバルの中心「ストーンタウン」に辿り着いた。人と車で賑わうこの街の活気と喧騒はジャンビアーニの隠遁生活後だと一層新鮮に感じられた。ダルエスサラーム同様、ここストーンタウンもイスラム・インド色が濃い街で、道路脇の通りから一本入り込むと白壁に挟まれた迷路のような道が続いている。


今回の旅の前半、モロッコからスーダンまで計15週間イスラム圏に滞在し、「自分はイスラムの雰囲気が好き」という1つの自己発見があった。鳴り響くアザーン、美しい曲線美を描くモスク、ムスリム特有の暑苦しさ…ストーンタウンの路地裏や市場で久しぶりのイスラムに触れ、その実感を再確認した。


東アフリカ(ここまでの、という意味で)の町並みは、正直、歩いているだけではオモシロさに欠ける。西欧諸国のように散歩しているだけで楽しめるような絵になる町並みでもないし、東南アジアのようにトンデモナイ系の発見が多いわけでもない。そこにはシンプルな人の暮らしがあり、誰かの日常が淡々と営まれ、そういう風景が広がっている。

だからこそアフリカ旅行の面白さは「人と関わること」にあると思っているのだが、その話はまたいつか改めて書くとして、ストーンタウンの町並みは久々の「歩いているだけで楽しい」類のそれだった。路地裏の何とも言えない雰囲気の中を一眼レフを首から下げ、意識的にゆっくりと歩く。右、左、左、右、と何も考えず歩を進めると、何時の間にかイスラムの世界に迷い込んでいることに気づく。久々の感覚だ。黒人のイスラム社会、というのも実に新鮮で、白い石造建築とのコントラストが不思議に感じられる。









日が暮れ始めた頃、宿の近くの道路脇には屋台が並び始めた。串焼きの肉から揚げたタコまで、次から次へと目移りしてしまうほど様々な品々が、得も言えぬイイ匂いがあたりに立ち込めている。逸る気持ちを抑えながら吟味した結果、ザンジバルピザなる地元名物と数本の串焼きを食べることにした。これが本当にウマイ。タンザニアの単調な食にも飽きてきた頃であっただけに、革命的な美味さである。道端に並んで座り込み談笑しながら久方ぶりの屋台飯を楽しんだ。



ストーンタウンには結局2日しか滞在しなかったが、「この街が好き」と言い切れる素敵な場所だった。

チームキリマンジャロのムードメーカー・たかとにはこの島で別れを告げた。夏休みの短期間で旅に来ていた彼は、帰国便の関係で他メンバーより一足早く本土へと戻ることにしたのだ。

最終日、たかとの出発前、土産物屋にピアスを探しに行った。メンバー全員がタンザニアでピアスを空けたので、何か共通の思い出を買おうぜ、といういささかロマンチックすぎる流れである。購入したのはエメラルドグリーンの石が静かに光るお洒落なやつ。「お互いの結婚式はこれつけて集合な」、そう誓い合った。

高校時代、留学後の夏休み明けに復学し、誰も知らない一つ年下の学年で一番最初にできた友達がたかとだった。高校時代は結構な時間を一緒に過ごした。けれどそんな彼の船出をよもやザンジバルで見送ることになるとは、お互いに予想だにしなかった。それだけにこの暫しの別れは不思議でもあり、寂しくもあった。

船着場に入っていくたかとに向けて、大声で「贈る言葉」を歌った。選曲に特に意味はない。たかとは不敵な笑みを浮かべながら、VIPフェリーに向かって歩いていった。


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