各国立大学医学部にはそれぞれ異なるカリキュラムが定められているが、僕の在籍する秋田大学では二年次に「人体解剖学実習」を行うことになっている。これは人体の器官や構造を肉眼で立体的に学ぶ、というものだ。一年次は数学やら物理やらの一般教養的授業のみなので、これが初めての医系の実習科目、ということになる(※今は一年次から医系授業アリ)。
およそ9週間という莫大な時間がこの科目には割り当てられており、毎日夜まで解剖室に籠りきり細か〜い手作業と膨大な確認作業を続けるのが如何に肉体的・精神的に「キツい」かは容易に察せられるところで、ある意味医師を志す学生にとっての登竜門的実習である。
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今年度はカリキュラムが前倒しになり、4月の2週目と例年より早く解剖が始まり、つい先日の6月12日にようやく終了を迎えた。
解剖に使わせて頂くのは御献体、つまり本物の人体だ。実際に人体に刃を入れる解剖初日、下手をすると吐き出してしまう程ショッキングな体験かと思っていたが、日を追えば追うほどにその感触にも慣れてゆく自分がいた。リアルすぎるリアルが、逆に非現実的に感じられたのかもしれない。もちろん、皮膚や筋を切る度に吐いていたのでは実習にならないから、当たり前といえば当たり前の適応なのかもしれないが、医学部というのはある意味狂気の集団なのかもしれないなあと思った。
繰る日も繰る日も、メスとピンセットを用いて、細い血管や神経の一本一本をも見逃さぬよう剖出し、分厚い教科書と照らし合わせる。当然、人体の構造が完全に教科書と一致、ということはないので、時に手探り的なその作業は何時間も続き、ゴールデンウィークも週末も解剖に費やした。
そんな毎日は想像以上にハードで、正直に言えば単純すぎる期待を寄せていただけに想像以上に退屈な時もあった。だが、今改めて振り返るとこれまた想像以上に多くを学ばせて頂いたという実感が強い。
臓器が美しいと言っても過言でないほど無駄なく収納されている腹腔、血管や神経はこんなに細いにも関わらず各々の役割を持ち、筋肉は外側からでは知り得ないほど多く、それら全てが「生きる」というただ一つの目的を共有し、完全にプログラムされている。人体はミクロコスモスだった。
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全てを終えた今、医学生としての大きく大切な階段を一つ登り区切りに辿り着いたような達成感にも似た心持ちであると同時に、「これから先もまだまだ続いてゆくのだなあ」などという当たり前且つ何を今更的事実に、自分の選択の重さを両方の意味で改めて感じている。
昨年の11月、旅の終わりにケープタウンのマクドナルドで「旅の途中」という記事を書いた。
『僕はまだ「旅の途中」なのだ。』
格好付けてみると、結局今この瞬間も、まだまだ僕は「旅の途中」にいる。ここから先の5年に及ぶ学生生活だけではなく、その先もずうっと、だ。何かをやり遂げた訳でも何でもない。ナミビアのあのひたすらに真っすぐな道のように、永遠と続いてゆく。それだけなのだ。
生涯勉強。犬のように学び、紳士のように遊び、自分の道をひた走りたい。
最後に、御献体にはどれだけ感謝しても足りない程だ。本当に有り難うございます。
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