2012年3月5日月曜日

ヴィッパサナー瞑想に行ってきた。



ヴィッパサナー瞑想の12日間体験コースに参加してきた。

途中まで。

・・・そう、途中まで。リタイア。瞑想5日目・コース6日目にして脱走してきた。今度は絶賛迷走中。

あれだけ周りに、「おれ12日間瞑想して仏陀になって帰ってくるわ!仏陀が菩提樹ならおれはアフリカのバオバブの木の下で説法するぜ!」なんてドヤ顔で語ってたくせに、ある意味すごく自分らしい結果に終わってしまった(笑うな)。

実際マジメな話、瞑想中にいろいろ物思うこともあってのリタイアだったので、それについて書いたりしていこうと思う。

コースの半分しか消化できず、ここからが本番!ってとこで逃げ出してきた僕にヴィッパサナーを評する資格がないのは重々承知してるんで、あくまで半体験感想記として読んで頂ければ幸いである。










・ヴィッパサナーって?
ヴィッパサナーってのは仏教における「観」のパーリ語の発音で、「よく観る」「物事をあるがままに見る」ことに集中し、「今・ここにいる自分」への気づきを重視する上座部仏教系の瞑想法。

「自分の内へ、内へと真理を追究する修行だ」と瞑想中も度々講釈された。

※正直僕もよくわかってない部分もあるんで、詳しくはwikipediaを参照ください(こちらから)。



・参加した動機
もともと瞑想には興味があった。ブックオフの棚に並べられた「瞑想。生きる術を学ぶ。」みたいなちょっとアヤシいニオイのする古書を横目に、どこかで機会があればやってみたいな、なんて思ってた。

直接的なキッカケになったのは、ついこないだ下北沢でお会いしてきた青木優さんのブログ。先日世界一周を終えて帰国された青木さんが、「インドでヴィッパサナーと呼ばれる瞑想をした」とツイートされてるのを見て、オモシロそうだな行ってみよう的なノリで参加を決意した。



・参加したコース
僕が参加したのは青木さんがインドでされたのと同じ「日本ヴィッパサナー協会」。日本には千葉と京都の2つ支部があり、出国前の12日間に合わせて千葉支部でのコースにインターネットで予約した。

この時点でヴィッパサナーに関する予備知識はほぼ0。



・コース概要
すこし客観的にコースの様子や何をしたかなんてのを報告してみる。

1.場所・施設
千葉県茂原市、茂原駅前からシャトルバスに乗り約20分、そこから送迎の車で約10分の場所にある車の音もほとんど聞こえないような田舎に、ダンマーディッチャと呼ばれるその瞑想施設はあった。

小学校のグラウンド1個分くらいに切り開かれた山の中に①食堂②宿泊棟(テントもあり)③トイレ・シャワー・洗面所④瞑想ホールがあり、建物はどれも比較的新しかった。

④を中心に敷地をちょうど二分割する形で②~③は区切られており、女性サイドへの出入りは禁止されていた。①でもお互いの食事スペースの間には壁が設けられていたが、④瞑想ホールは男女共用で、目に見える仕切りはないが右半分が女性、左半分が男性と割り振られていた。

②宿泊棟は平屋の真ん中をすだれで区切った8m×4mほどの簡素なつくりで、その中で用意された布団・毛布・銀マットを使ってのドミトリー状態。隣の人との間隔は大体30cmないくらい。

③トイレ・シャワー・洗面所も割りと綺麗で、工事現場に置かれてる簡易式のアレみたいな感じ。熱いお湯がちゃんと出るのが日本クオリティ。


2.期間
僕が申し込んだコースは2月の29日~3月の11日までの12日間で、実際の瞑想は10日間。

ちなみに抜け出したのは瞑想5日目だからコースの6日目、ちょうど真ん中の日。最後先生とリタイアについて面談したときにも言われたけど、そこまでが上り坂だったらしい。「あとは下り坂なのにもったいない」と散々言われた。


3.食事
食事は完全にベジタリアン。卵も魚もなしで、仏教の「不殺生」を徹底していた。主なタンパク源は大豆で、カレーに揚げ豆腐を砕いたのが入っていた工夫には感動した。

食事は朝6:30と11:00の一日2回。プラス17:00にはティータイムが設けられており、バナナ1本とオレンジ(またはりんご)1/4切れがついてる。紅茶類は食事時には自由に好きなだけ飲めて、インスタント珈琲もあり。夕方だけ蜂蜜が出るので、「蜂蜜生姜檸檬ティー」を砂糖たっぷりで飲むのが習慣だった。

献立は支部によって異なるらしいが、千葉では

朝→米+味噌汁+パン(ジャム2種類・バター・オリーブオイル・醤油・味噌・塩・ゴマ・梅干はオプショナル。このバターでバターご飯食べてた。)

昼→米+スープ系のメイン料理+サラダ(調味料各種あり。でも昼はバターなし。)

って感じ。メイン料理はカレーだったりスパゲッティの日もあった。日替わりメニュー。米は玄米・白米・おかゆの3種類あって、玄米が馬鹿みたいに美味かった。

これを自分で好きな分だけよそって好きなだけ食べるシステム。ちなみにヴィッパサナー、全部寄付金で運営してるらしく、僕はタダで毎日飯食ってたことになる。

1日1食おかゆのみの粗食生活を想像してたから、この点最高だった。マジでご飯美味しい。大学生の一人暮らしよりよっぽどいいもん食ってた。

食後は自分で使った食器を洗って戻すんだけど、流しもお湯が出た。すげえ。洗い物めんどくさいからお皿の使い方がだんだん上手くなる。不思議。



4.ルール
仏教の基本的な五戒(不殺生、酒ダメ、盗みダメ、性欲ダメ、嘘ダメ)にプラスで

・ 正午以降食べ物を摂らない。
・ 娯楽を行わず、身体装飾をしない。
・ ぜいたくな、あるいは高い寝台で眠らない。

ってのが定められてて、他にも

・他の宗教行為の禁止
・聖なる沈黙(ノーコミュニケーション。目も合わせちゃダメ。)
・散歩以外の運動禁止
・禁煙
・外部との接触禁止(敷地内からも出れない)
・音楽、筆記、読書禁止


てな風に基本的に瞑想すること以外ほぼ禁止(この戒律の厳しさに惹かれた部分も大いにあるわけだが)。

休み時間が1時間程度食後にあるんだけど、たいていそのときはすることないから同じ所をぐるぐる散歩したり、座って空見たりしてた。

個人的にルールはそんなにキツイと思わなかった。人間の順応力って偉大。ただ思いついたことを書き留めるのも禁止ってのは辛かった。

けれどすごくイライラしたのは天気の悪さ。6日いて晴れたのは1日だけだった。ずっと雨or低い雲で三方を山に圧迫的に囲まれてる空間、ってのは精神衛生にあんまり良くない気がする。


5.一日の時間割
毎日決められた時間割通りに、鐘の音を合図に小学生のように行動していた。

午前 4:00 起床のベル
4:30 - 6:30 ホールまたは各自の部屋で瞑想
6:30 - 8:00 朝食と休憩
8:00 - 9:00 ホールでグループ瞑想
9:00 - 11:00 ホールまたは各自の部屋で瞑想
11:00 - 1:00 昼食と休憩
(午後 12:00 - 1:00 指導者との面談)
1:00 - 2:30 ホールまたは各自の部屋で瞑想
2:30 - 3:30 ホールでグループ瞑想
3:30 - 5:00 ホールまたは各自の部屋で瞑想
5:00 - 6:00 お茶と休憩
6:00 - 7:00 ホールでグループ瞑想
7:00 - 8:15 ゴエンカ師の講話
8:15 - 9:00 ホールでグループ瞑想
9:00 - 9:30 ホールで質問の時間
9:30 就寝/消灯

こんな感じ。とにかく瞑想。


6.瞑想
瞑想ホールには指定の場所に青い座布団と毛布が置かれていて、その上でじっとしていなければならない(グループ瞑想以外は散歩とかの適宜小休憩もあり)。姿勢は自由で、背筋が伸びてればなんでもいいらしいのだが、あぐら派が多かった。

長いときは2時間も座ってできる限り体勢維持しなければならなかったことは、左ひざと右肩ケガしてる僕にとってかなり肉体的に苦痛だったのは事実として述べておかねばあるまい。

瞑想ホールは明るさ調整できる橙灯がうっすらついた空間で、ちょうど高校の教室2個分くらい。外界からの刺激(光や風)が瞑想の妨げになるらしく、外部と遮断された不思議な空間だった。

瞑想の先生(じいさんとばあさん)2人が高い椅子の上に着座し、それに向かい合って男性26名、女性約10名が瞑想する風景からは、いまだかつて経験したことのない異質の一体感を受けた。

ゴエンカ氏(開祖の人)の訛りまくった英語と下手な通訳女性の声が交互に吹き込まれたテープを先生が時間になるとかけ、ゴエンカ氏のパーリー語であろう言葉を不思議なメロディ(リズミカルなお経みたいな)にのせた読経に聞き入りながら瞑想する。

少し主観が入るが、一番疲れるのは毎日夜7時からの講話の時間だった。約1時間半にかけてナレーター女性が仏教・瞑想について語るのだが、ひたすらに長い。そして例えが多い。ひとつの事例にマックス時には5つも例えが用意されてた。それと言葉で上手く説明できないのだが、何かこの女性の声というか抑揚に違和感がずーっとあった。それが気持ち悪かった。

ただ内容的には仏教本流の教えから大幅にずれるようなことは言っていない(と思う)。僕自身が割と懐疑的な人間なので、母親からヴィッパサナーの悪い噂なんかも聞かされ、多少なりとも「新興宗教なんじゃねーか?」なんて疑っていた節もあったが、その心配は無さそうだったので、これから行かれる方は安心して欲しい。


さて、気になる瞑想の内容は、

 ・一日目→自然の呼吸の意識。鼻の穴を通る息の感覚に集中。
 ・二日目→鼻を覆う上唇を底辺とした三角形への意識の集中。そこに触れたすべての感覚に意識を向ける。
 ・三日目→上唇を底辺に、上部を鼻の穴・入り口に置く三角形への意識の集中。そこに触れたすべての感覚に意識を向ける。

ここまでがナントカっていう(名前忘れた)呼吸法の修行。瞑想に使う道具の訓練みたいなもんらしい。何かを教わるってより、知っていたことに気づけっていう感じだった。

四日目の夕方の瞑想から内容が一転し、ついにヴィッパサナー瞑想が始まった。頭の頂点に意識をまずは集中させ、そこから顔、首、のど、胸、腕、指先、もも、脚、足といった風に、体の末端へと徐々に集中した意識のエリアをずらしていく。体の各部で何か感覚(服の触れる感覚でも、熱でも、圧力でも、何でもいい)を感じたら次の部位へと移動させる訓練。これがヴィッパサナー瞑想らしい。

最終的にはこの意識集中のエリアを小さくしまくって、外部だけでなく内部も観察し、体中のすみずみを「そこにある」ものとして、すべて知覚できるようになるのが目標だとか。

何か特異なものを悟る とかそういう超人的なものではなく、「ただあるがままを観察する」のがヴィッパサナーの教えだそうだ。

講話の時間にゴエンカ氏がテープで言っていた。「人間は自らの外へ、外へと真理を求めてきた。それを内に求めることもせず。」

確かに一理あるんじゃないかななんて思う。逆転の発想。コペルニクス的転換。

その突き詰めていった究極の自己の「内」にどれだけの真理が詰まってるのか、コースのメインを食べずに帰ってきた僕にはわからず終いだったけれども、仏教的な諸概念をベースとするならばかなり理にかなった方法論なのではないかと思う。



・感想とかそういうの。
コースを離脱してツイッターでそれをつぶやいた瞬間、けっこうな反響があって驚いた。というか笑った。同じくらい笑かした自信はあるが。

「何でリタイアしたの?」

まだ自分自身で言語化できていないのだけど、簡潔に言えば「コースから抜けるって選択肢を悟った」って感じ。あ、ちょっとかっこよすぎる?w





行きのバスの中や待ち時間でコース参加者何人かと少しの間お話できた。年齢層は割りと高く何人かリピーターもいたんだけど、僕以外みんなに共通して「ヴィッパサナーをするためにわざわざ12日間あけてきた」っていう前提があった。

対して僕は「アフリカ一週前に、こういう機会でもないと一生縁がないかもしれないから行ってみよう」程度の、正直「12日間禁欲瞑想したったでー!」みたいなネタ作りで参加した不純な節が8割くらいあった。

だから同じ時間瞑想していても質において差があっただろうし、辛い壁を乗り越えるモチベーションも違ったように思う。

あと自分が一箇所にじーっとしてるのがすごく苦手だっていうのも忘れてた。克己心がショボイ人間なのですたい。

っていうのが肉体的な苦痛に対する言い訳。

んで、よりメインなのはこっち。

参加してから気づいたんだけど、諸行無常や一切皆苦、輪廻転生や解脱といった、仏教観の強い瞑想の「方法」ではなく「雰囲気」に触れること、これが自分にとっての目的だったみたいで、つまるところ、満足してしまったんだと思う。本当の真理も見るにいたらずに。

それに気づいてから、4日目あたりからは瞑想中に「これでいいんだろうか?」ってことを考え始めた。

出国前の準備もまだ完璧じゃないし、やりたかったこと、会いたかった人がいる。それなのに「途中まできた。辛いところは乗り越えた。あとは耐え忍ぼう。」っていう我慢はコンコルドの過ちになってないかな、って思い始めた。

瞑想中はほんとに意識をかすかな意識に集中させなきゃならない。これからアフリカ放浪も控えている自分にとって、邪念を全部消し去るのはかなり難しかった。

今思えば、多分僕は参加するタイミングを間違ったんだろう。これからヴィッパサナーを考えてる人には特に考えてみてほしい。「本当に『今』なのか?」と。前へ前へ、そういう段階にいる人間にはこの『今』を見つめる修行は難しいと思うし、フィードバックも少ないように感じる。





と、ネガティブなことばかり書いてきたが、じゃあこの6日間と茂原市までのクソ高い電車賃が無駄になったのかといったら、そうでもないと素直に思う。

まず3日目までの呼吸法ですごく使える武器を一つ学んだ。

今までの人生で、時々ふと「あれ、おれどのタイミングで息してるんだろ?」なんて思う瞬間が何度もあった。けれど毎回それを意識した瞬間から不自然な呼吸しかできなくなり、なんだかイライラしてやめてしまう。それを繰り返してた。

3日間、時間にしておよそ30時間。ひたすらこの「自然の呼吸を意識すること」っていう、ある意味背反するような特訓に時間を費やした。

こんなくだらなく感じられることにアニメを60話以上見れる時間を費やしたのは、馬鹿らしくみえるかもしれないが、これがなかなか使えるスキルなのだ。

3日目は唯一気持ちよく晴れた日だった。休み時間の間、床に寝転がりただただ空を漂う雲を見ていた。

瞑想の連続とそれまでの悪天候で心身ともに疲れきっていた僕は、ふとなんとなくコツがつかめた自然の息の感触を確かめた。

そのとき、なんだかすごく落ち着いた。

「心を静かで平穏に保ちなさい」

瞑想の度に言われていたこの「calm and quiet mind」って心の状態に、このとき初めて、本当の意味で到達できたと思う。

空がほんとに青くて澄んでた。木々のざわめきがリアルに感じ取れた。ブナの木が風に揺れると岸辺にうつ波のような音がした。夕焼け空を横切る飛行機雲が空に切れ目を入れてるみたいだった。

特定の条件下のときだけでもいい。あの感覚が味わえるなら、呼吸法を学んだ、いや、自分の呼吸に気づけるようになったのは価値がある気がする。

ま、本当は外で呼吸法やっちゃダメらしいんだけどね。





あとはアイディアがいっぱい浮かんだ。旅中のもだし、人生的なのもだし。湯水のようにあふれ出た!とまでは言えないけど、これも呼吸学んだからなのかなーなんて。

他には、魂は浄化されずとも体は浄化された気がした。健康的なもんばっかり食ってたから。笑

施設を出るとき担いだバックパックもいくらか軽く感じた。






今の世の中、どう生きていても情報がどんどん五感から飛び込んでくる。高度に発展した社会ならなおさらだろう。それはもう避けられないことだと思うし、そこから逃げ出して非日常に飛び込むことで自分を見つめなおしたい、そんな想いが自身の旅への憧れの中にもある気がする。

だけど旅の非日常は所詮ほかの誰かの日常なわけで、完全に外部とのつながりをシャットアウトできる場所なんてのは世の中になかなかない。

ヴィッパサナーだって完全な断絶ではないわけだけれど、それに近い状態・環境であるように、5日間(笑)ではあるが個人的に感じた。こういう空間に飛び込んで内省的になること、より良く生きるためにも、これも必要な経験なのではないかと思う。

今回は時期が少し早かった。自分にとって、ただそれだけのこと。また機会があれば、時期がくれば再訪するかもしれないし、そのへんはonly god knows.

後悔はそんなにない。この選択で得た別の経験と、もし12日間座り続けた後得られる経験は比べるようなものじゃない。もうここで自分が分岐してる。そんなちょっと運命論者みたいなことも考えたり、考えてなかったり。

5日目からは瞑想がさらに自分の深い部分にはいってくのは、直感的になんとなくだけどわかった。抜け出せたあのタイミングはベストだったんじゃないかな。

「フィーリングを大事に」、自分の2012年のコンセプトに沿った行動できたと思ってる。








とまあコースを完結できなかった根性なしの自己肯定はどうでもいいとして、最後にこれからヴィッパサナー考えてる人へのアドバイス!(お前がアドバイスかよwww ってつっこみはなしで!)

具体的な話で、持ち物についてです。

まず服。手洗いなら洗濯はできる(HPにはできないって書いてあったけど)し脱水機もあるんですが、人数が多いと洗濯場が込み合うんで、できれば服は多めにもっていくべきです。んでもって1日中座ってて楽なエスニックのものなんかが雰囲気も出ていいかなーと。(大体みんなそんな感じだった)

あとシャンプーとリンス!これは持参!洗剤は借りれるけどこれはなかった。おかげで僕は6日間水シャワーのみです。頭からだんだん実家の犬みたいなニオイがしてきました。

それと、できれば天気が適度にいいシーズンを見計らって行くのがベストな気がします。ずっと雨で寒い閉鎖空間は心がほんとに病みます。

そんな感じです。もしこれから行かれる方で、真理をみっけた方はご連絡ください!300円で買います!


11 件のコメント:

  1. 今やるべきかどうか考えるって言ってるけど、思い立った時がやるべき時なんかもね!
    それでやっぱり違うなって思ったんならまた「今や!」って思った時にやればいいしさ。
    やってみないとほんまにその時がやりどきやったかはわからないんかも。
    あきらがアフリカに行くのも同じじゃない?違う?

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  2. あきらさん、お疲れ様です!facebookにメッセージ送らせてもらいました!よろしければ、お返事ください!

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  3. あきらさん、はじめまして! エジプトダハブ在住のゆうこです。
    もうすぐ出発ですね。 よい旅を!
    そしてダハブでお会いできるのを楽しみにしています。

    (少しだけ自己紹介)
    10年間の社会人生活の後
    2002年 四国、沖縄、東北バイク旅
    2003~2004年世界パッカー旅(1年の予定で出発したのに結局2年に)
    2006年よりダハブ在住
    実は私もヴィパッサナー経験者です。
    旅の途中、インドで知り、かなり興味を持ちましたが、どうしても日程があわず断念、その後念願かなって京都でコースを受けました。私も予備知識がなく、瞑想=リラクゼーションの一種 という感覚で行ったので、かなりキツカッタです。(さらに妊娠中でした)でも今でも心に残る経験になっています。
    その子も無事産まれまして今3歳です。ダハブの国際的な環境で元気にそだっています。

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  4. 俺と色々一緒で君は僕が好きなんだね。

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  5. >こじ ほんとそう思うわ、結果論だけども。直感は大事にしたい。波に乗れるか、渦に飛び込めるか、分かれ目はそこだと思ってる。

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  6. >松田さん facebookのほう確認したんですがメッセージありませんでした>< 申し訳ありませんが、もう一度おくっていただけないでしょうか?

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  7. >ゆうこさん はじめまして!ブログ見ていただいてありがとうございます! プロフィール、めちゃくちゃかっこいいですね!妊娠中にヴィッパサナーは驚きですっ。

    ダハブでお会いできるのを楽しみにしてます!いろいろお話きかせて欲しいです。エジプト近くなったら連絡させて頂きますね^^

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  8. >やご べっ、べつにあんたのことなんかっ、しゅ、すきじゃないんだからっ///

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  9. あきらさん、またまた松田です!さっきfacebookで友達リクエスト送らせてもらったんで是非認証の方よろしくお願いします!

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  10. >松田さん 度々申し訳ありません、facebook確認したのですが、新規のリクエストはありませんでした・・・http://www.facebook.com/profile.php?id=569837856にお手数ですがもう一度送信お願いします><

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  11. はじめまして。3月、京都で初めてヴィパッサナー瞑想に参加しました。「左ひざと右肩ケガしてる僕にとってかなり肉体的に苦痛だった」とのこと、たとえ数日でも、辛かったろうとお察しします。私は日常全く動作に支障を感じていないので忘れてましたが、ヴィパッサナーを始めてから、「数年前に交通事故にあったせいかも?実は後遺症があったのかも?」と思われる痛みが足に感じられて、1時間はなんとか汗をかいて頑張って座れたけど、1時間が限界。子供の頃から1時間半の正座は平気だったので「こんなはずはない、私の我慢が甘くなってる?」と自分を最初は疑ったけど、実際「これは無理だ」と思い、ティーチャーに一般的なこととして、まず質問しました。「先生は、『まず最初に、各自の楽な姿勢を決めて下さい。それを、持続してください。』と仰いました。私には、瞑想してる行者さんをこれまでに本やテレビで見て、彼らは きちんと あぐらをかいてるか、正座をしているもの、という固定概念があります。でも、「各自の楽な姿勢」ということは 極端な話、椅子でもいいんでしょうか?」あっさり、返事ありました「椅子でもいいですよ。なぜなら、あなたはここで その痛みを耐えるために来たのではありません。あなたの体内の感覚を感じとるために、来たのですから。日常ですと、仕事中でも(その休憩時間とかに、誰にも気づかれずに)この瞑想は行えます。ただ、背筋はまっすぐなほうがいいですよ」と。なーんだ。それで、私は「壁沿いに座っていいですか?」と訊いたら、即オッケー。翌日は壁沿いに座布団4枚敷いて椅子に座るように座りました。けど徐々にリピーターも含めて 壁沿いで瞑想する生徒が増えたせいかどうか?(私にはわかりません)、その日の午後 スタッフから連絡頂きました。「壁沿いでなく、元の場所で瞑想をお願いします。壁の代わりに、座椅子を用意しました。座布団は、ご自由に足して使ってください。」座椅子があって、私はかなり楽な姿勢で瞑想できるようになりました。壁よりさらに楽だった気がします。まさに「座る痛みを我慢し乗り越えねば」という誤解から解放されたおかげで10日間をクリアできたとおもいます。 あと、リピーターの人はもう勝手知ったるで、初日から自分で複数枚の座布団を独占し、それを重ねたり 折り畳んだりして すっかり椅子を作って、座布団数枚敷いてるところを毛布をもう一枚借りて隠す?(いや、たんに 足が寒いので巻いてたのかもしれません。)など工夫してる人いました。なので、怪我や痛みを必死でがまんする必要はないですよ。もし次回 瞑想参加の機会あれば、ご参考までに。

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