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前日の夜、同じ日本人旅行者のタクヤさんとキミさんにお会いした。お二人は僕らと同じ飛行機でデリーに着いたそうで、飛行機で見かけた少年二人を偶然食堂で見つけ声をかけてみた、とのことだった。宿泊先のゲストハウスまで僕らの隣だったのだから、なんとも不思議な巡り合わせである。
お気に入りの食堂スパイシーバイツで会話は弾み、「明日の朝一緒にガンガーで沐浴しましょう!」と言って別れた。
翌朝。前日の反省を活かし5時に起床。待ち合わせの5時半に宿の1階へ行くと鉄格子のシャッターが閉まってる。どうしようか考えた挙げ句、屋上づたいにお隣のシバGHへ侵入すると、ちょうどタクヤさんとキミさんが階段を登ってきた。シバGHからも外へ出れなかったらしい。
仕方なく入り口脇のソファーで安眠してる守衛さんを起こす。申し訳ない。
そして2分歩いてメインガートへ。このへんで一番大きいガートで、幾隻かの手漕ぎ船やヒンドゥーの教会のようなものもあり、いつも賑わっている。
この日も早朝だというのに既に街は動き始めていた。鈴のような音が鳴り響き、色鮮やかに織られた民族衣装のサリーを身につけ沐浴するおばあちゃん達。物売りは路上に品を並べ、牛は相も変わらず悠々と道を歩く。インドのイメージがそのまま具象化したような光景だ。
メインガートの様子。 |
徐々に多くなる人目を多少気にしつつも、水着姿の僕らは早速沐浴してみることにした。カメラをキミさんに任せ、早速チャイ色をした死体の流れる聖なる河におそるおそうる身を浸す3人。
おばあちゃんと「ナマステ〜」 |
思い切って潜った!業を洗い流した瞬間!新生・いぐちあきら誕生を捉えた貴重な映像! |
記念撮影、というか証拠写真 |
火のついたロウソク。供養なのかな? |
お祈り?されるダイスケ。12分くらい復唱させられたりしてた。 |
思ったよりも水がひんやりしていて気持ちいい。臭いこそさほどしないが、となかくヘドロがヤバい。時期的なものなのかもしれないが、雨期のせいで増水したガンガーの底はドロが堆積していた。深いところだと膝下までドロに潜る。馬糞に足つっこんでるみたいであまり快触ではない。
「ガンジス河でクロール」
以前触れた通り、僕らのインド放浪の究極の目的。これを達成せずには帰れない。だがこの場所は泳ぐには少々狭かったので、場所を変えてリトライすることにした。
着いたのは宿から一番近いムンスィガート。長い階段を降りるとただ河につながってる、っていうただの通路的なガートだったので、さすがに人は少ないだろうな、なんて思ってたら・・・
オッサンいっぱいいた!みんなフンドシみたいなの巻いてる!
めちゃくちゃノリ良くて、ひたすら絡まれてた。「ジキジキ!ジキジキ!」と奇声を発しながら、左手でつくった輪に右手の人差し指を突っ込み、水しぶき飛ばしてくる。
ちょっ、ただのエロオヤジか!
岸辺から離れたところは波が割と早く、そこまで泳ごうとしたら止められた。「お前は泳ぎが下手だ。やめておけ。」と言ってるっぽい。英語通じないから勘だけど。
でも日本人旅行者が以前ガンガーの対岸まで泳ぎ切ろうとして死んだ話を聞いたことあったし、泳ぎにそんなに自信ないからやめとこうと思って、その沖の方見たら、
オッサン達めっちゃ波に乗ってる!流れるプール状態!
しばらく流されると陸に上がり、また戻ってきて流れにのって、それを繰り返してた。
働けよ!ってかおれの方が泳ぐの上手いよ!
そんな僕らがインド人オヤジと朝っぱらから戯れてるのを階段の上の方で韓国人旅行団体が眺めてた。
ちょっ、見せ物じゃないよ!
ちなみに聞いた話だけど、抗体も何もないのにこんな病原菌オリンピックみたいな水の中に入ろうとするのは日本人だけらしい。同じアジア人でも韓国人は沐浴しないとかなんとか。
と、突っ込みどころが多すぎるガンジス沐浴でした。ちなみにクロールどころか潜水までして口に水はいりました。
とまあ大義を果たした僕とダイスケは、天下をとった織田信長のような気持ちで宿に戻りシャワーを浴びた。白い水着が茶色くなって色がとれなかった。ちなみに未だに茶色いまま。おそるべしガンジス。
疲れたので仮眠。am10:00に再び行動開始。
近所にあったベンガルトラって服屋でかっけーサルエルパンツ見つけて思わず購入。インド服、もろいけどデザインお洒落なの多い!原色あわせる色使いがすごく好き。
その後もふらふら。露天のラッシー美味しい。氷が入ってて冷たい。
ラッシー売ってた少年 |
「混ぜるのやらせてー」 |
ラッシー。飲むヨーグルトみたいな。土器にはいってて、飲み終わったらそのへんに捨てる |
当時、たかのてるこさんの「ガンジス川でバタフライ」の映画が長澤まさみ主演で公開されていて、長澤まさみ自身が実際にバラナシ来たらしく、その写真が見れると聞きBJという男を訪ねた。
写真はなんていうか大したことなかった。これ、ポストカードとかになって日本人相手に売られてた。
例の写真 |
日本代表・加藤大介! |
日本語ペラペラのJBの家で2時間くらいダラダラトランプしたり腕相撲した後、メインガートに戻りボートに乗ることにした。
ボートが満員になるまで漕がない漕ぎ手。インドだ〜。
ふと横を見ると、この綺麗さのかけらもない川で
シャンプーしてるインド人いた!綺麗にならんだろソレ!
インドだわ〜。
待つこと数十分、やっと動き始めるボート。だるそうな漕ぎ手。ぐるーっと一周ガートを眺めながらバラナシの街を満喫。
早く人こい〜 |
チェスしてる欧米旅行者 |
ガートは溜まり場。そこにはバラナシならではの生活がある。 |
少年たちはダイブして遊んでた。 |
バラナシ・夕景 |
3週間しか時間がない僕らにとって、バラナシで過ごした時間は他のどの街よりも長かった。バラナシには何か不思議な「引力」がある。街の喧噪や雑踏は他の街のそれと変わらないのに、どこか「特別」なのだ。
「火葬場からあがる煙が街を負の空気で覆っている」みたいに言う旅人もいるが、僕はこの街がむしろ好きだった。汚いしうるさいのに、何故か居心地が良かった。バラナシになら住めるとすら本気で思ったし、そう思えるような場所を日本以外にも見つけられたことで、自分の世界が広がったような感じがした。
多分、ガンジス川の流れが僕にそんな気持ちを抱かせているんじゃないかと思う。
毎朝屋上に上がり、街の動き始める音に耳を澄ませながらタバコに火をつける。
どこか非現実的なこの時間は、とてもゆっくり優しく過ぎて行く。遥か昔から、時に激しく、時に緩やかに、人間の営みに寄り添い歴史を刻んできたガンジス川の悠久の流れ。それが時間の流れを遅く感じさせているんじゃないかな、なんてぼんやり思った。
とは言ってもいつまでもバラナシにいるわけにはいかない。その夜、次の街カルカッタへの電車チケットを購入。
と、ここでこの旅の転機が訪れた。
当初、一緒にカルカッタまで行く予定だったダイスケは、ハセ氏&キム氏の話を聞いてるうちにインドの最北部への憧れを募らせ、再びデリーへ戻り飛行機で停戦ラインまで飛ぶことを決めた。
今までずっと二人で寝泊まりしてきたが、ここからが僕にとって本当の「一人旅」。全幅の信頼を置ける最高の相棒と離れるのは物寂しいが、それ以上にワクワクしていた。
バラナシ最後の夜。いつもと同じように、2階のラウンジに誰となく集まり談笑にふける。キム氏、ハセ氏からはたくさん話を聞いた。しょうもない話からガチな話まで。当時17歳の僕らにとって、この旅と人生の先輩と絡めたことは最高だった。
ラウンジ風景 |
ちなみにこの夜、僕は「喉の痛み、せき、頭痛、鼻水、発疹、発汗」というガンジスの呪いとしか思えない症状に苦しんでいました。
証拠写真。ダイスケから冷えピタもらった。 |
次章、猿の惑星×旅立ち×カルカッタ お楽しみに!
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