つい先日、司馬遼太郎氏の「竜馬が行く」全八巻を購入した。1600円という実にお手頃な価格である。
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先月末に「統一試験」という、秋田大学では前・後期の終わりに行われる大きなテストが終了し、机に向かい続けた3週間の日々がようやく幕を閉じた。
開放感は束の間で、動画の編集を終えると待っていたのは随分と怠惰な日常だった。「解剖書」やら「人体の正常構造」といった数百ページあるもはや辞書のような教科書を除いて、活字に久しく触れていなかったこともあり、このままじゃイカン何か本でも読もう、と決めた。
早速ミハラくんにメールしてみたところ、「竜馬が行くを読め」と言う。さらに彼は「これは人生の必読書の匂いがする」とまで言った。
「竜馬」は高校生の頃から親父に度々薦められてはきたが、歴史に疎い僕は「どうにも堅苦しそうな昔の本」とレッテルを貼っていた。それだけにあまり気乗りはしなかったが、ミハラのオススメだしなあ、と半ば流されるような形で購入に至った(僕は彼のセンスはそれなりに信頼している)。
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そんな経緯で、まことに今更ながら僕もかかる名著を読み始めた訳だが、これが本当にオモシロい。オモシロいなどと安い言葉を連呼すると本の質まで下がってしまいそうな気がして申し訳ないが、とにかくオモシロいのだ。読み切ってしまうのが勿体ないと思える程にオモシロい。
著者のシンプルだが味のある解説、中学生程度の史実しか知らない僕でも分かるよう記された歴史背景。登場人物こそ多いがそれも苦にならない。時折交えられるユーモアと突き刺さるような台詞が妙に心地よい。歴史的な名著というのはあるものなのだなあ、と今更ながら思った。
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『学問も大事だが、知ってかつ実行するのが男子の道である。詩も面白いが、書斎で詩を作っているだけではつまらない。男子たる者は、自分の人生を一遍の詩にすることが大事だ。楠木正成は一行の詩も作らなかったが、かれの人生はそのまま比類の無い大詩編ではないか。』
作中にこんな台詞があった。吉田松陰の残した言葉で、彼は桂小五郎にただこれだけのことを教えたにすぎなかったが、この言葉が桂小五郎の一生を決定してしまったという。
これを読んだ時、ふと、否応無しに、小汚い和室の布団の上でここまでの自身の人生を振り返っていた。
僕などは「凡夫」でしかないが、それでもここまでの道のりに大きな岐路はいくつかあったように思う。
アメリカへ留学するのを決めた高校時代か、はたまたその後のインド一人旅か、もしくは石田ゆうすけさんと酒を酌み交わしたあの夜か、アフリカ大陸を踏みしめた瞬間か。
どの出来事が決定的に今の自分を自分たらしめているのかは分からないが、導かれてるような気もする。「一遍の詩」にはまだまだ成り得そうにないが、適度なユーモアもまじえながら歩んでいければなあ、と思う。
ともあれ、23歳になりました。
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