2012年2月7日火曜日

インドシリーズvol.6

7/15 バラナシ2日目



朝は1階の食堂でおかゆを食べた。どうにもまだ腹の調子が悪い。インドの呪いだろうか。

ダイスケがまだ寝ていたので1人で食べていたが、彼も目覚めて降りてきた。本棚にあった日本語の諺の本を読みながらおかゆ、実にゆるりとした朝。

休憩がてら屋上に上がり、バラナシの朝の空気を肺に吸い込む。太陽はもうすっかり登っており、亜熱帯特有の生温い空気に肌が汗ばむ。一日が始まるニオイがする。

この日は火葬場へ向かうことにした。

人口の80%を占めるヒンドゥー教徒にとってバラナシは聖地である。ヒンドゥーにおいて人生は苦の連続と捉えられるが、バラナシのガンガーで死を迎えた者はその輪廻から解脱できると考えられているのがその理由だ。インド中からこの地に集まり死を待つ人も多いという。

その南北6キロのガンジス河岸のほぼ中心に位置するのがこの火葬場だ。かつてイギリス政府がこの火葬場を郊外に移転する計画を企てたが、激しい反対論争が起こり計画は頓挫した。結局、イギリス政府は「火葬場が町のために存在するのではない。町が火葬場のために存在するのだ。」と認めたそうである。

確かに、バラナシに到着し、ガンガーに近づくにつれて、他の町には感じなかったどこか独特の空気を感じた。得体の知れないパワーに町が覆われているかのような感覚。今思えば、それはバラナシという町の歴史と存在意義が発するエネルギーだったのかもしれない。

外国人にとって異教(異郷)の聖地の中心であるその火葬場はある種の観光地になっており、宿で知り合った日本人にも行ってみることを薦められた。

入り組んだ路地を、遠くの河岸から見える黒い煙を頼りに進んだ。火葬場は河岸にあり、想像していたよりも小さかった。火葬を行う場所や死を待つ人が集まる場所など、数個の建物から成る火葬場の周りには、大量の薪が積み上げられていた。

入っていくと例のごとく自称ガイドに取り憑かれた。それぞれの場所を半ば強引に案内し、インドなまりのR音が強い英語で説明してくる。半ば諦め、どうせ金とられるなら、と色々質問してみた。

基本的に、この火葬場で燃やされた遺灰はガンジス河へ流すが、赤ちゃんや妊婦、徳の高い僧なんかは例外で、火葬せずそのまま流すらしい。木製の担架のようなのにオレンジ色の布に包まれた遺体が並べられたが、それがそうなのだろうか?

小さな建物の2階には今にも死にそうなばあさんが何人もいた。「彼女達は何をしているのか?」と聞くと「自分の死後、遺体を荼毘に付すのに使う薪を集めている」と言っていた。

デコピンしたら吹っ飛んじゃいそうなほど痩せてるおばあさんの1人に話しかけてみた。頭を触られお祈りしてくれた。もしかしたらこういうパフォーマンスだったのかもしれないけど、ほんの気持ちだけど、Rs20を置いてきた。

無宗教の自分や、おそらく多くの日本人にとって、宗教が深く根強く関わってる世界ってのは本当に異質。自分の死後のイメージが描けない僕にとって、おばあさんが自分を燃やす薪を生きている間に集めるっていうその行為は、ただ「興味深い」やら「考えさせられる」なんて感想で片付けられないほど訴えてくる何かがあった。僕はただただ沈黙することしかできなかった。

その次に実際に火葬が行われている様子を見た。物心ついてから葬式なんて行ったこともない僕にとって、数メートル先で人が黒くなりながら燃えているその様は衝撃的だった。離れていても皮膚を焼くような熱さの炎を前に霞む思考。「意外に嫌な臭いってしないんだな」、そんなことを思った。

火葬場内の野良犬がやってきて、時々遺体をついばんでいた。命の循環。輪廻転生。不思議な光景だった。

一番ガンガーに近い地下のような場所には、大昔からあるらしいシヴァ神の火が燃えていた。聖火みたいなものだろうか。この火から火種をもらい、火葬に使っているそうだ。

ここでガイドが金要求してきた。通例パターン。北海道行ったらジンギスカン食うくらいの通例パターン。さっきまでお前「金はバッドカルマ(業)だ」とか何とか言ってたじゃんw

その後、聖なる塔みたいな所に連れて行かれ、チョコっていう泥みたいなのをインド人オッサン達に吸わされた。高い金ぼったくられんじゃないのかっ!?って警戒してたけど、全然ただのノリのいいオヤジだった。タバコミュニティーって実際ある。





帰り道、細い路地を探検しながら歩いてたら、


牛が正面から歩いてきた!




ここで道を譲ったら男が廃ると思ってわずかな隙間からすり抜けようとしたら、






ダイスケ足にウンコ落とされた!しかもサンダル!



路地裏の学校?で水道かりて必死に洗うダイスケ


悲しい男・ダイスケ

その後リキシャでまたバトル。変な道連れてかれた。日本語でぶち切れたらおつりまでくれた。勝利。

夕飯は旅人の先輩方から聞いたスパイシーバイツってとこでスパゲッティ食べた。蜂蜜ショウガレモンティーが美味しかった。ただ注文してから出てくるまでの遅さはやっぱりインドだった。



夜は2階ラウンジでいつものように日本人集まっておしゃべり。「屋上行こうぜ!」ってノリになって屋上へ行き、ひんやり気もちいコンクリートに横になると、星が綺麗だった。







キムさんがどこかからタイコを借りてきてて、叩き方まで教えてもらってきてた。音がすごくイイ。マイナスイオンでてるわー。

そんな感じで、タイコの心地よい音に酔いながら、夜は更けていったのでした。













更新遅くて申し訳ないです、楽しみにしてくれてる人スミマセンっ

もう1日分書こうと思ってたんですが、テストも近いんでまた後日にします〜



次章
インドのマクドナルドと2050年恋愛物語

お楽しみにっ!








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