2012年7月30日月曜日

ケニア編突入~超絶国境越え41時間~ DAY3




~あらすじ~

17時間の道のりを2日かけて辿り着いた国境の町、モヤレ。子供たちのマネーマネー攻撃と、自称ガイドの助けてやるから金よこせ攻撃を、道中で出会ったケニア人ビッグママの助けでなんとか回避しつつ、その日のうちに国境を越え、ケニア側に入国。とうとうやってきた5カ国目。翌朝出発のバスを予約し、当面の資金を両替。12時間ぶりの食事を済ませ、新しい国で始まる新らしい日々に想いを馳せたのであった...。




(以下、手日記より抜粋)




昨日予約したバスは朝7時半出発だったのに、目が覚めたのは5時。度重なるエチオピアの早朝クソ早バスに体が順応していたみたい。もはや呪い。

レストランで水とサモサ買った。お肉たっぷりの美味しいサモサを頬張ってると「ローリー乗らないかー!?」みたいな客引きが。なるほど、ローリー(トラック これの荷台に乗りこむ)は当日の朝見つけるもんなのか。1500Kshとのこと。500円くらいバスより安い。

ローリーの数は1、2台と思ったより少なく、モヤレ→ナイロビはローリーしかいない、くらいに話聞いてたからちょっとびっくり。

バスは意外に、ってか普通に快適。薄汚れてはいるけど、窓もちゃんと開閉するし、足元に荷物置くだけのスペースもあったし、何より座席がクッションでリクライニングできる。エチオピアのローカルバスの3倍は快適(に見えた)。



割と時間通りにバスはナイロビに向かって出発。足を伸ばせる通路側か、景色を眺められる窓側かで悩んだけど、結局窓側に。

道はほんとに悪い。赤褐色の凸凹道を車体を上下に激しく揺らしながら走る。後ろから2番目の席だからか、余計に揺れる。

「そのうちちゃんとした道路に出るのかなー」なんて思っていたけど、甘かった。結局夜中の9時過ぎまで悪路は続いた(むしろ悪化)。

始めは、30秒に1回以上のペースで飛び上がるように激しく揺れていたそれを「six flags(アメリカの遊園地)のジェットコースターみたいだなー」なんて楽しんでたけど、iPodの電池もじきに切れ、何故か窓が微妙に開いたまま閉じなくなり、砂埃がモロに顔に当たり、さらにはリクライニング機能まで壊れた。

とてもじゃないけど寝れない。何回窓に頭ぶつけたことか。振動の衝撃を吸収してくれてるはずの自分の首や腰もだんだん悲鳴を上げ始める。

トラックが2、3台通った跡をとりあえず道と名付けよう、的な凸凹石だらけの道、とてもじゃないけどバスの走る場所じゃないだろ。エチオピア=悪路ってのは訂正すべき。

こんな感じの道。砂埃がすさまじい。
人の住まぬ、乾いた大地。
最初はこんな景色が続いた。
昨年カンバツがあったらしく、こういう水すら手に入らない村人の一部がゲリラ・山賊化しているらしい。
果てしなく広がる大地。広い。

「首いてー寝むてー飛行機使えばよかったクソ」なんて悪態付き始めたころ、バスの車体がすごい音と共に急におれの座ってた側に傾いた。

驚いてると「早く外に出ろ!」と言う。荷物残したまま外に出ると、なるほど、タイヤが完全に砂に埋まってる。無茶な運転するからまったくもう!

必死でバックして道路に戻ろうとするが、虚しく舞う砂塵。乗客も皆携帯で写真撮ったりしてる。

「こういうことよくあるの?」って聞くと「いやここまでガッポリはまるのはあまりない」とのこと。

あのまま倒れてたら死んでたなー、なんて思うとオソロしい。

結局この状態で助けがくるのを1時間待ち続けた。
日陰もない砂漠みたいな場所だったからとにかく暑かった。
色々試したけど動かず。
通りがかったトラックが引っ張ってくれて助かった。1時間強は待った。

その後も1時間に一度は警察の検問・パスポートチェックを挟みながら悪路の移動は続いた。治安の不安定さが伺える。けどやっと寝れたときに起こされると少なからずイラっとする。

アグネスおばちゃんは朝3時ごろ着いた町で下車。ここに実家があるらしい。本当にお世話になりましたっ。

ようやくナイロビに辿り着いたのは出発翌日の7:00am。夜中も走り続けた24時間の大移動だった。

バスに乗ってた時間はバックパッカー的にそこまで長くないけれど、バスのクオリティや道中の永遠続く悪路を考えると、かなーりハードな部類の移動な気がする。

9年ぶりのナイロビは、エチオピアを経て線で結ぶように移動してきたからか、記憶の中よりも断然大都会に感じた。治安悪そうな下町っぽいところにバスが着いちゃったので、そっこうタクシーを捕まえる。心身共に疲弊しきってたけど、最後の力を振り絞ってジャングルジャンクション(日本人に人気の安宿)に辿りついたときの感動と安堵といったら、筆舌に尽くしがたいとはまさに此の事。

ヒルトンホテルや味気ない高層ビルが立ち並ぶナイロビ中心地をタクシーのエチオピア人ドライバーは「ブラックロンドン」と揶揄していたのが印象的だった。

もうすでに懐かしさを覚える赤土の道








~あとがき~

計41時間、想定していたより短い移動だったが、それでもモヤシっ子の僕を疲弊させきるには十分過ぎるほどの大移動だった。移動時間もキツさも暫定No.1。願わくばこれを超えるきつ~い移動がこの先ないことを祈るばかりだが、まあ多分空しい期待に終わるだろう。

実際にキツかったし、後遺症に数日悩まされたけど、バスで移動して良かったと思ってる。アディスアベバとナイロビっていう点同士を線で結ぶことができた。景色が変わってゆく様子を眺めながら、お気に入りのプレイリストに耳を澄ます時間、なんだかんだ言いながらこの時間を心に深く刻みこむためにバックパッカー達は可能な限りの「陸路」に拘るのだろう。

事実、飛行機を使っていたらこの実感はなかったし、本当にアフリカの大きさと果てしなさを感じられた移動だった。エチオピアで心にへばり付いていたモヤモヤも道中の青空に置いてこられた気がする。

そして何より強く思うのは、「人の親切に支えられてやってこれたんだ」、ってこと。

アグネスおばちゃんには本当に親切にしてもらったし、宿のおばちゃん、レストランで会ったおじちゃん、バスの乗客の人々、日本大好きなアフリカでボランティア中の韓国人、何度も出くわしてきて多分この先もどこかで会うだろうオーストラリア人おじいちゃんのアンドリュー、立ち寄った村々で親切にしてくれた人々、ナイロビのタクシーの運ちゃん...

たった3日の移動、それなのにこんなに多くの人と関わり、優しさをもらった。

「笑顔」と「誠意」、いつもいつまでも忘れちゃいけない。心からそう思う。




何はともあれ、ついに5カ国目ケニアに到着。8月末まで色んな方に会ってお話を伺う予定だ。観光飽きしてきた部分が少なからずあるので、旅の趣向を少し変え、リフレッシュも兼ねてたくさん学ばせて頂こうと思う。

8月末からはキリマンジャロに登る有志達もアフリカの地に集う。楽しくなる予感。アンテナを広く張って、有意義な時間を過ごしたい。



にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村
先日、ナイロビ郊外のスラムで職業訓練されてるNGOの発表会を見学させて頂き、その夜は、ナイロビでもう40年も宝石商されている方のお家で国連の方とのお食事させてもらいました。
いい経験してます。感謝感謝。

0 件のコメント:

コメントを投稿

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...