2012年8月13日月曜日

ティカ訪問記~後編~


ティカ訪問2日目はアマニ・ヤ・アフリカ・ケニア事務所で働く石原輝さんにお話を伺ってきた。ティカ中心部から乗り合いバス「マタトゥ」で約20分の郊外に、その職業訓練学校はあった。

NPO法人団体であるアマニ・ヤ・アフリカの歴史は1998年まで遡る。当時旅行でケニアのキベラ地区を訪れた1人の女性が、戦争難民のように国際的関心も集まらず、 政府からは放置されて援助の手も届いていない、慢性的貧困にあえぐ人々とその子供たちとの出会い、 そのような厳しい環境の中でも明るく逞しく生きる人々を何とか支援したいという、一途な想いで仙台から始まったという。アフリカとの交流支援団体である同団体名のAmani ya Africa とはスワヒリ語で、「アフリカの平和」を意味し、アフリカと日本の架け橋として、自然と人々との調和の取れた平和な世界を目指している。

その主な活動内容は、
①国際NGOとしての活動
②スラム住民・障がい者・低所得者の自立支援
③貧困家庭の子供たちへの教育支援活動

という3つのケニアにおけるものと、

①アフリカを伝えるイベントの開催
②フェアトレード品の販売・促進
③スタディツアーの企画・実施
④日本の企業とのコラボレーションによる支援

という4つの日本における活動が根幹を成している。この日訪れたスラムの中にある職業訓練学校「アマニファクトリー」は2010年に開校された洋裁の学校で、石原さんから実際に行われている活動とその理念や背景といったお話を伺った。

まずはフェアトレードについて。近年メディアなどでも度々耳にするようになったフェアトレード、これは、対話・透明性・敬意を基盤とし、より公平な条件化で行う国際貿易を目指す貿易パートナーシップのことである。要は、あり得ない低賃金で搾取されてる人々にちゃんと見合った給料を、という運動。日本でカカオやナタデココが流行った背景には無料同然で働かされている人々が、アフリカに限った話ではなく、たくさんいる。誰かが得をするために、多くの人が貧しさの螺旋に飲み込まれてしまっている現状は、理不尽であるとしか言わざるを得ない。その意識の欠落故に、ケニアでも事実「注文し、物だけ受け取り金を払わない」「足元を見て無理な値段をふっかける」なんていう暴挙が横行しているそうだ。資本主義産業の根幹に関わる事なだけにそれは根深い問題に思えるが、環境にも配慮したフェアトレードは未来世代のための現代人の責務だろう。

先に述べた通り、この職業訓練校では洋裁の指導を行っている。例え良い大学を出ていたとしても失業率50%を超えるケニアの就職難は深刻だ。貧困が原因で十分な教育を受けられなかった若者や障がい者は、手に職を付けなければ生活の糧を得られないのが現状だという。16~29歳の間で募集し集まったそんな彼らが、自立して現金収入が得られるよう、アマニファクトリーでは10ヶ月間の洋裁のトレーニングを行っている。ティカでは現在第二期生までの卒業生が計6人いる。各々事情を抱える彼らにとって、入学金1000Kshに加えて月謝200Kshは決して安い金額ではないが、卒業時に10ヶ月分の月謝、即ち2000Kshとミシンを贈呈するのだそうだ。それを元手に自立してもらうことが目標で、生徒の中には卒業と同時に近所の子供たちの制服の注文をとったり、と、上手くやってる者もいるという。石原さんは彼らに卒業後もお互いに助け合わせる、謂わば労働組合なる収入安定化を目的としたグループを作らせた。その彼らが手がけた商品をケニアや日本でフェアトレード販売して得た収入が、団体の収入源の60%をも占めるという。ポーチやバッグや、アフリカンな可愛い柄のそれらは非常にしっかりした出来で、10ヶ月でここまで裁縫指導を行う大変さが窺えた。「最終的には規模の大きい工場経営や海外進出できたらいいですね」、そう語る石原さんは、苦労が絶えない職場だろうに、実に楽しそうだった。

また、アマニヤアフリカではハンディキャップを持つ方々のグループを作り、彼らの生活自立の為に、商品の買い付けや商品開発への協力、日本での販売を行っている。そのグループの一員である「マイナさん」は片足が不自由で通常の歩行が難しい。だが彼は自分にしか出来ない技を見つけた。それは「バナナの葉」アートである。一度実が生ると終わりのバナナの木々は伐採され処分される。もともとアートに興味があったマイナさんは材料費無料のそれに目をつけた。バナナの葉を水に十分漬け伸縮性を持たせ、針金の骨組みにそれを巻いていく。接着剤や塗料などは一切使用しない。バナナの木も根以外の全てを大切に使う。そうやってバナナの葉で動物やバオバブなどの民芸品を作っているという。実際にこの日、シマウマを目の前で始めから作ってくれたが、そのなめらかな手さばきは感動ものだった。会話しながらも手だけが器用に動く。出来上がったミニチュアのシマウマはバナナの葉だけで作ったとは俄かに信じ難い出来映え。正に職人技である。











そんなマイナさんのバナナアートは人気が高く、収入は増え家族を養うほどに安定していた。が、そうなった瞬間、親族が寄ってきて、自分たちを養うよう求めてきたそうだ。「働く者が稼いで養う」、そんなアフリカの意識はまだ根強い。だが、幼少から足が悪く、障がい者として親からも疎まれてきたにも関わらず、マイナさんは自分に集ってきた親族一同を養っているという。

「家族の面倒をみられるのは幸せなことです」

その言葉が印象的だった。





説明や見学の後、アマニファクトリーの卒業生たちと共同作業で昼食を作った。ウガリとチャパティとシチュー。まな板を使わず器用に野菜を切っていく。ケニアンシチューの作り方を教えてもらい、笑いながら楽しみながらの共同作業。貧困や障害や、そういった過去を持っている話を聞くと、決して見下すつもりはなくても、心の何処かで「かわいそうに」なんて思ってる嫌~な自分がいる。僕と歳もさほど変わらない彼らは、僕が想像つかないほど重くて暗いものを背負ってるのかもしれないが、実際に接してみると何ら変わりない、一人の人間だった。「同じ目線に立つ」、過ごしてきた環境、背負ってる過去、それらすべてが違うだけに難しいことのように思えるが、意外に答えはシンプルなところにあるのかもしれない、そんな無責任なことを考えていた。











石原さんにはこの2日間、様々な話を聞かせて頂いた。

フレッシュさより経験が重視されるケニアでは、就職の前に「アタッチメント」と呼ばれるタダ働きインターンの期間があって、イイ大学を出ていてもそのチャンスすら得るのが難しいということ。

「ビジョン2030」という、「2030年までに『先進国』になる!」なんていう良くワカラン方針が雑多の達成目標と共に政府によって定められ遂行されているということ。

ケニアの湾岸都市モンバサで原子力発電所を造る計画が進んでいるということ。

ナイロビからティカへの高速道路は最近できたもので、これをこのままモヤレ方面に繋げる計画があるということ。

ケニア北部で原油が見つかったが、発掘採掘技術に乏しい為、中国またはイギリスに委託せざるを得なく、おそらくケニアにはあまり金が落ちないだろうということ。

庶民の足である乗り合いバス「マタトゥ」が交通渋滞を引き起こしているとして、ナイロビのマタトゥ廃止案があるが、現実的に難しいだろうということ。そして近年マタトゥへの規制が強くなってきていること。

ケニア政府はスラム問題や貧富の差などの、何とかしなければならない自国の課題を放置していて、スラムに至っては「存在しないもの」のような扱いをしているということ。そのせいでスラムにある学校は認可がもらえないこと。

例え貧しい家庭出身でも、出世し金持ちになるとそういった貧困諸問題を無視するようになってしまうケニア人が多いこと。

中国企業の参入に対し、当時こそ歓迎したが、今では悪感情のほうが強いということ。

8月から来年3月に延期された選挙では、2007年の大暴動を扇動したとされている議員が出馬するらしく、また荒れる可能性があるんじゃないかということ。



その地に足をつけた生産者・生活者ではなく、観光を中心としてあくまで傍観者である旅人にとって、訪れた国のことを多面的に知る機会というのはなかなか得辛い。それらが垣間見えたとしても、そこで終わってしまうことのほうが多いし、直接的な体験の機会というのはなかなかない。それだけに、こうしてケニアの抱える様々な現実の一端を見聞き感じることのできる機会を、たかだか一学生の僕が頂けたことには、本当に感謝の言葉も見つからない。石原さん、たくさんの学びを、本当に有難う御座いました!




参照URL アマニ・ヤ・アフリカ公式HP



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