2013年5月18日土曜日

Cycling Africa 〜DAY 4〜




昨晩、牧場の家族のご好意で泊めて頂いた台所の床でロウソクを灯し寝ていたのだが、このロウソクが失敗だった。開け放った窓から魑魅魍魎かと疑うような虫たちが飛び込んでくるのだ。ここはアフリカで、仮にも僕は既に数ヶ月をこの巨大な大陸で過ごしてきた。ゴキブリなら素手で躊躇なく叩きつぶせるようになるくらいには成長していたつもりだったが、この夜ばかりは駄目だった。ロウソク目がけて飛んでくるカナブン的甲虫の類が寝ている僕の顔に華麗な不時着をキメるのである。顔はマズい。あの、木から落ちないために無駄にギザギザした脚の爪が、突然顔に刺さるのだ。不愉快極まりない。ふざけるな。お陰で寝不足だ。

そんな怒髪天を突く勢いで目覚めたのは、東の空にまだ星が残る4時半頃だった。正確には、牧場のお姉さんが起こしてくれた。「おれら明日4時半に出発するから五月蝿くしたらゴメンね!」と散々早起きアピールをしていたにも関わらず、寝坊したのだった。なんともダサい。

何はともあれ、今日で自転車に股がってから4日目である。徐々に一日中ペダルを漕ぐ生活にも慣れてきて、寝惚けながらもテキパキと荷物を積み直していた。

が、さて出発!という段になって、僕の自転車に違和感を感じる。嫌な予感というのは狙い澄ましたかの如く的中するのが世の常のようで、後輪のタイヤが見事にパンクしていた。例の「ナミビアントゲトゲ(正式名称ナミビアンデビル)」の仕業だった。

「午前中にできるだけ距離を稼ぎ、次の町「Mariental」で昼はゆっくり休憩しよう。そうだ!Marientalは大きい町らしいし、中華料理が食べれるやもしれない!よしよしこれは実に楽しみである!」

そんな風に前日から意気込んでいただけに、この時間ロスはかなりイタい。テンションとやる気が崩れ落ちる音がした。結局牧場を出たのは朝日が昇り始めた頃だった。涙が出そうになるのは朝焼けの眩しさのせいだろか。今振り返ってみれば、これが前兆だったのだろうこの「ツイてない」一日の。


まずはタイヤに違和感を覚えた。朝のパンク修理の際に何かパーツのバランスを崩してしまったのか、いつも通りに自転車が加速しない。自動で時速計算や総距離などを計算をしてくれる「サイクルコンピューター」なる小型機械をサドル部に装着しているのだが、「このくらいで漕げばこのくらいのスピードが出る」という昨日までの経験則とズレがあり、それがやけに気持ち悪い。

道中道端に野生のダチョウを見つけ、そのワイルドかつ愛嬌ある佇まいに多少はイライラが軽減されたものの、今度は昼前であるにも関わらず強い風が吹き始めた。もちろん、例の「向かい」風、だ。目眩がするほど真っすぐに南へと伸び続ける道の彼方は、起伏がないにも関わらず蜃気楼で途切れている。そんな変化を欠く景色が数時間も続くと、この道に終わりがないんじゃないか、とだんだん不安になってくる。風は止む事を知らず、無情すぎる程に真正面から吹き付けてくる。時折すれ違う大型トラックが僕の周辺に乱気流を起こすたびに、ハンドルをとられ、減速した。

「あーもう知らねえからな!?やめてやろうか!?責任とれよ!?」と、意味の分からない台詞を叫びながら路傍に投げやりに倒れてみるものの、ただ暑いだけだ。5分もすると無言で自転車を起こし、再び低速走行を続ける。その繰り返しだった。


ようやくミハラに追いついた時、彼はMarientalまで後20km地点の休憩所で寝ていた。僕が横に自転車を停めると、いくらか不機嫌そうに「よう」とつぶやいた。どうやら30分ほど前に到着し、日陰の魅惑に負けていたようである。小さなペットボトルを5L容器に入った水で補充し、煙草を2本ふかし、空を見上げ寝転がる。ちっぽけな僕らを嘲笑うかのように、今日も一段と空は青かった。

高校、大学と運動を極力避け、体力に自信がないことだけは人一倍自信のある自分が、ナミビアの荒野で一体何をやっているのか。この阿呆め。そんな自虐的な気持ちを新たにしたところで、風は吹き止む素振りを見せるはずもない。諦めて再びペダルを嫌々漕ぎ始めた。


無心状態の時、気づくと時間が過ぎ去っていることがある。Mariental10km手前までの僕がそれだった。代わり映えのない景色を眺めながら、ペダルを淡々と踏み続ける。右、左、そしてまた右。始め、何か考え事に興じていたはずのに、一定のリズムがそうさせるのだろうか、気づけば無心でハンドルを握り、数kmワープしていた。大学1年の時働いていた飲食店の厨房で、業務用20kgの玉葱を剥いていた時、気づくと作業が終わっているのに似ている。風は相変わらず無情であったが、残り10kmの看板までの体感時間は不思議と短かった。

だが、この看板が問題だった。これを見た時、心に欲が生まれた。「あと10kmで冷たいコーラが飲める!」、1度この思いに捕われてしまうとそこからの10kmの時間跳躍は不可能で、生々しい疲労を足腰に感じながら呪いの言葉を口にし続けた。この日ほど全てのチャリダーの先輩方を尊敬した日はない。こんな地獄を毎日見てきたのか、と。


Marientalではまず、南部アフリカ地域の大規模チェーンであるSHOPRITEでコーラを買って飲んだ。相変わらず涙が出るほど心に染み渡る味だ。ミハラは2缶炭酸を買って交互に飲むという贅沢を喫していた。

Marientalは駅を中心に広がるそれなりに物に溢れた町で、日本感覚で言えば「村」かせいぜい「町」のレベルなのだが、その時の我々には大都市に感じられた。

アフリカにはどの国でも中国人移住者たちが多く、土地土地に自分たちのコミュニティーを形成しているのだが、ここナミビアでもそれは同様で、「チャイナショップ」なるメイド・イン・中国の雑貨を扱う小店が点々としていた。「華僑住む所に中華料理あり」、これまでの旅の経験則から、早くも麻婆豆腐やら青椒肉絲の脂っこい香ばしい味を舌に感じながら、早速勇み足でレストランを探した。

15分後、この町には何故か中華料理屋がないことが判明した。前代未聞の大事件である、コレは。


食事情に触れるならば、そもそもナミビア、大衆食堂の類が非常に少ない。というか、ほとんど見かけない。あるのはファーストフード系料理を取り扱う小店ばかりで、薄暗いくせにガヤガヤうるさくメニューもなければ店員が昼寝しているような、懐かしい「アフリカ」を感じさせる食堂というのは終ぞ見かけなかった。

やむにやまれず、中級ホテル(当時の実感としては超高級)のレストランで食事をとる事にした。ミハラがサンダルに履き替え店内に入ると、店員から「お客様、靴をお履きください」と注意され、消臭スプレーをこれ見よがしに撒布される程に中級であった。

量がやや少ないことを除けば文句のつけようがない豪華な食事に舌鼓を打ちながら、我々2人は今後の予定について議論した。要するに、「時間が足りないwのである。一日100kmでようやく到着する手はずであったが、それはこの4日間で十分すぎるほどそれが不可能なプランであることに気づかされた。努力量の問題じゃない。無理、なのだ。

ともかく、ここに辿り着くまでの遅れ、そしてここから先に生じるであろう遅れを取り返さねばならない。折角ここまで線で繋いできた道を自らぶった切るのは些か気乗りしないが、現実はいつもシビアで幾分か手厳しいものなのだ。それも致し方ない。


ここから次の街「Keetmanshoop」まで、およそ200km。天命に身を委ねたヒッチハイクを当初考えていたが、ふと地図を眺めながら鉄道の存在に気がついた。これにもし乗ることができれば…と、思い立ったが吉日、すぐさま駅へと向かった。

随分と粗雑だが駅が駅足り得る特徴はちゃんと押さえてあるぞ、といった風なMariental駅。切符販売所で次の列車と運賃を尋ねると、なんと今晩発着の列車があるという。しかも販売所は閉店5分前。まさかチケットが本当に手に入るとは思っていなかった節もあったので、これぞ天命と意気込み、神はまだ我々を見捨てていなかったと歓喜し、バスに比べると随分と安上がりなその列車券を購入した。

自転車はコンテナに詰めろ、とのことで、この旅の相棒ともしばしの別れである。待合室の鍵を借り、大分時間もあるぞということで歩いて街中を散策した。久方ぶりの人工建築物に心躍らせ、人が道を歩いていることに気分が高揚し、スーパーの中には物と色が溢れていることに感涙し、気づけば随分と時間が経っていた。

カフェとは名ばかりのコンビニ的小店の飲食ブースのような場所で、ビールを飲んだりしながら久しぶりの怠惰な時間を満喫する。我々の議題はもっぱら「自転車走行日数と性的欲求度の反比例的関係」についてだった。


2:00am、仮眠をしていると列車が到着した。僕はてっきり貨物列車のような車両がのんびりとアフリカンスピードで進むのだとばかり思っていたが、到着したそれは多くの客を乗せる立派な列車だった。やや狭いが、車内には自動販売機まである。自動販売機などこの8ヶ月間一度もお目にかかっていない。そのような存在すら忘れていた頃合いだったため、テンションが上がる。タンザニアの列車とは大違いだ。

夜の闇の中を朝へ向かって走る列車。行き当たりばったりとはこの事、といった具合のチャリ旅ではあるが、それもまた一興。そんなことを思いながら目を閉じた。



(動画はこちら

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