以前mixiで書いた日記です。
個人的にちょっと気に入ってたものだったんで、こっちにも投稿してみました。
DODO WORLDNEWS(道祖神の旅行カタログ)」が家に届いてた。
今月号はなんと沢木耕太郎さんの特集だった。
たった見開き2Pと数枚の写真だったけど胸が熱くなった。
その興奮を抑えきれなくて今思わず日記なんて書いちゃってます。
今のこの気持ちを文章にするだけの力が自分にないのがモドかしくてたまらんのですが
まあ疲れたクソ浪人生の戯言とでも思ってアレしてください。
マイミクさんたちはご存知と思いますが
ワタシは「旅」とか「冒険」とか、そういった類のもんが大好きです。
新しい未知の土地を歩くとき、まるで自分の目が自分のものじゃないかのように、いろんなモノに自然と目が向く。
今まで見たことも聞いたこともないモノに驚き、異郷のニオイが自分に染み込んでくるのを感じる。
ふだんは見過ごしちゃうようなモノだって、これでもかっ!ってほど新鮮に輝いて見えてくる。
そうしてこうして何か新しい引き出しみたいなのが自分の中にできて、自分が少しだけ変わる。
小学生のころは親父と常に一緒だったし、留学のときはHFとかの常に誰か知ってる人と一緒だったけど
その後ひとりで放浪したインドでは、こゆ感覚をフルに5感で感じて、すっかり旅にハマってしまった。
もちろん、たった1週間や2週間や1ヶ月そこらでその国や土地のことを理解しようなんてのは到底無理な話で
せいぜいおれが見てきた世界ってのもほんの一面のごくわずか。
しかも世界なんてのは時間とともに日に日に変わってくもので
例えは悪いかもしれないけど、9・11以前と以後のNYは別物なワケで
よくもわるくも、ある場所に行く、って行為はすごく一回性の強いアレなんだと思ってる。
だから、今自分の行きたい国ってのは、「今の時代の」その国、っていう前提の上にあるワケであって
そういう意味で旅人っていうのは常に間に合わない宿命を背負う遅れた存在だと思うのです。
でもだからといって「ここに行きたい!あそこにも行きたい!」なんて夢妄想が膨らまないはずはなく
自分の命が続く限り、それにどれほどの意味があるのかは今の自分には計りかねるけれども、
世界中を他人の言葉なんかじゃなく、自分の五感で感じたいっていう思いは止められないんです。
前置き(ってか脱線)が長くなっちゃいましたが
今月の沢木さんの特集が「モロッコ」についてでした。
((ちなみに沢木さんてのはバックパッカーなら誰しもが知ってる作家さんで、彼の有著『深夜特急』は多くの旅人のバイブルになってます。たぶん。))
モロッコは自分自身ずーっと興味があってとくに行きたい国で、
たぶんそれはちっさい頃にあのイスラム文化圏に住んだ影響とかもあるんだろうけど
それ以上に、前に誰かが
「ポルトガルからモロッコに船で入るのは本当にヤバイ。
ヨーロッパの文化から一気にアフリカのイスラムの世界に入っていくその感覚が
涙でそうになるくらいはんぱない」
みたいなこと言ってたのを聞いたのが原因な気もします。
そんなこんなで興味を持ち続けてきた国に、沢木先生が何を思ったのか知りたいって思いで一気に読んじゃいました。特集。
内容の要約とかはまあ割愛して(ってかやはり所詮2Pはほんの物語の冒頭程度のテンションだった、十分うはー!ってなったけども)
最後の沢木さんの1行がすごく じーん ときたので紹介してみます。
「中略
勧めにしたがっていれば、若者の言っていた通り、もっと砂漠のことがわかっていたかもしれない・・・。
こうして、私は、モロッコに残した心を拾いに行って、また別の心残りを作ってしまっていたのだ。
だが、それでいいのかもしれない。
「心を残して」おけば、またいつか行くことができるかもしれないから。」
言葉は話者の成してきたことに依存する割合が相当に高いと思うんで
沢木さんの本読んだことないとちょっとこの台詞の、彼の言ったことの重み、みたいなのがアレかもしれないけど
偉そうにこうやって文章打ってる割に大して本読んでないおれのハートに届くには十分だった。
心残りはいっぱいある。
たぶん、これからも旅を続ければ続けるほど
もっともっと増えていくんだと思う。
でもそれでいいんだ。
旅して、吸収できるだけ吸収して、そしてそこで終わらせないで次に何か繋げて・・・
おれにとってこれほど幸せなことはないだろうなー
なんて、
そんなこと考えてました。
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