2ヶ月の間、いつも頭の片隅で考えてた。「なんでおれは旅したいんだろう」ぐるぐるぐるぐる頭の中を言葉にできんもんが回って、マインドマップも何枚か描いては捨てた。
結局、僕が旅にこれほどまでに執着しているいちばんの理由は、ただ「行きたいから。」なんだと思う。結論。
朝学校行く前になんとなく缶珈琲買ったり、ふとラーメンが食べたくなったり、古着屋で買う予定のなかったものまで衝動買いしてしまったり、なんとなく部屋を掃除してみたり、そんなノリ。価値観が〜とか自己の存在が〜とかムツカシイこと考えてたけど、結局シンプルな自分の気持ちを吐き出してみたら、収束したのはただの「フィーリング」だった。ごめんなさいA先生。
いつもいつも、行動する前に考えすぎてそれが重りになってた。正直、言葉遊びにはもうお腹いっぱい。今風のカッコいい啓発本に心酔したり、ビッグになりたいなんて言いながら口先だけで夢を語ったり、そんな自分に酔いしれてみたり。
「いつかやろう、いつか見たい、いつか行こう」
もうね、そんなん全然ロックじゃない。ほんと価値がない。
大学に入って気づいた。自分は自由に押しつぶされてた。何でもできる気になって、何にもしてなかった。
「やりたいことを今やる やらなきゃいけないことを今やる」
「今」じゃなきゃダメなんだ。そう思えたことがあるから、ただそうする。それだけ。これが嘘偽りのない本音。
まあダメな自分の弁明はこのくらいにして、一応ちゃんとした理由・目的もある。流学の。ちゃんとしてないかもだけど。ただいちばんのってだけじゃないだけで、建前とかでは(多分)ないやつ。
細かいのまで挙げてくと相当数ある気がするんで、自分の中で占める割合が大きいものを順不同で、内容が多少かぶるものもあるだろうけど、列記してみることにする。
①世界一周が夢
ちっさいころから世界に興味があった。すげーもんが日本以外にだっていっぱいあって、日本人以外にもいろーんな人がいるんだってことをエジプトに住んでた経験からも知ってた。
今現在無宗教の僕は輪廻も天国も最後の審判もさほど信じちゃいない。生まれてきて今の環境にいるのは究極のラッキーだって心から思ってて、どうせ一度きりの人生で、どうせいつか死んでしまうんなら、全部は無理でもできる限りの全てを見たかった。
とにかく色んなものを五感で感じたい!圧倒的な大自然、宗教がベースになってるライフスタイル、異郷の地の異文化、わけのわからん飯、見た事も聞いた事もないような森羅万象。もう、ぜんぶ!
これは僕にとっては「〜になりたい」みたいな将来の夢と同等のもので、もはや義務とか使命なんじゃないかとさえ思ってきた、多分勘違いだけど。
②挑戦したい
高校のとき三池さんという親父の知り合いの協力隊OCの方を訪ねたことがある。三池さんは長野の超山奥に家族で住んでて、ヤギや鶏を飼い田畑を耕し、土地から得られるものだけで文明に頼らず自給自足的な生活を実践されてる方。実際にそんなライフスタイルを見てみて、こないだ映画into the wildを観たときに感じたような、羨ましさみたいなのを感じた。父親にねだって初めて映画館で見た字幕映画も無人島生活を題材にしたものだったし、トムソーヤとかロビンソンクルーソー大好きだし、多分そういう冒険的な要素があるものに惹かれるんだと思う。
まあ話がそれたけど、その三池さんの生活には無駄なものがなかった。もっと正確には「あったら便利」って言えるようなものがなかった。それが無性にかっこ良く思えた。
旅において、無駄な物はほとんど持たない。数着の服とお気に入りの本、つまりは中型バックパックに入る物がほぼ全て。それはどこか三池さんやクリスマッカンドレスが挑戦したことに通じる部分があるように個人的に感じる。
余分なものがそげ落ちて、ただ裸の自分だけが残った、そんな状態に身を置いて、自分は一体何ができるのか?そんな挑戦心が少なからずある。
だから旅。ツアーとか留学じゃなくて、旅。
③自分と向き合いたい
これは持論だけど、何処へ旅しようが、結局最終的にはベクトルが自分自身に向かう気がする。インドでも、待ち時間とか長距離深夜列車とか、自然と「自分は何なんだ」みたいな事考えてた。毎日に忙殺されてる日本での生活じゃあんまり考えないけど、旅中はほんとにふとした瞬間に物思うことが多かった。
自分をもっと知りたい。まだ知らない自分がいるかもしれない。自己との対話。それがしたい。自分探しなんてクサい言葉で言い換えてもらっても構わない。
つまりは自分自身の哲学を確立すること、人生の目的でもあるんじゃないかなって個人的に思ってる。
④経験がしたい。人生を楽しみたい。
高校のとき、アメリカ留学を決起したのは旅がしたかったからだった。小さい頃親父に連れて放浪した東南アジア。もし、自分1人の力でそれができたらどれほど楽しいだろうか、そんな空想を重ねることほど楽しいことはなかった。
英語が必要だとなんとなくだけど思った。話せなくてもなんとかなる気はしたけど、いろんな国のいろんな人と話してみたかった。というより、自分という存在を知ってほしかった。
英語が必要だとなんとなくだけど思った。話せなくてもなんとかなる気はしたけど、いろんな国のいろんな人と話してみたかった。というより、自分という存在を知ってほしかった。
日常会話程度の英語が話せるようになって、とりあえずインドに行ってみた。「最高」、インドでの3週間はその一言に尽きた。昇天しかけるようなエキサイティングな経験の連続。日本にずっといたんじゃ味わえない。これが自分の望んでたもんだって思った。
インドの3週間はただ楽しかっただけではなく、自分の人生に大きく、広く、深く還元された。たったの3週間、たかだか北インド周辺、それだけのはずだった経験は想像以上の実りをうんだ。
もし、時間に目処つけず世界一周したら、何が得られるのだろうか。このころから本気で大学にはいったら休学して世界を回ることを考え始めた。来年はアフリカに限定した1年の旅なわけだけども(なぜアフリカか?ってのはまた別に記事にします)。
とにかく、いろんな経験したい。様々な人と価値に出会いたい。そしてそれを全部スポンジみたいな心で吸収して、自分の常識の壁をぶち壊したい。アンチテーゼは止揚して、人生を豊かにしたい。将来自分の子供にドヤ顔で語ってやれるような、一生の武勇伝を作りたい。
⑤親父を超えたい
自分にとって親父はライバルであり、尊敬する人間であり、最大のサポーターだ。我が家の親父も大学のとき休学して1年世界放浪してた。それがきっかけで世界に興味を持ったらしく、その後協力隊に参加したり家族を連れてエジプトに引っ越したりしたわけなんだが、それらの影響が今の自分を構成してる要素に相当に組み込まれてる、ビビるほどに。
最初は親父と同じことをしたら何が見えるのか知りたかった。でもその気持ちはだんだんと親父を超えてやりたいって気持ちに変わってった。
超えるっていっても抽象的すぎて、自分でもよくわかってない。とりあえず、親父に「おまえもなかなかおもしろい人間になったな」って言わせたい。んでちなみにそれがおれができる一番の親孝行な気もしてる。
以上5つが、僕の「旅する理由(ほぼ目的と同じ)」をざっくり述べたものだ。
最後に2つ、面談でも聞かれた質問を。
「なぜ1年?」
1年間、っていうのは自分に設けたリミット。もしかしたら自分の望んでるような何かが得られないかもしれないし、帰ってきたくなくなる可能性だってある。それを理解した上で、大学とかお金とかの現実的な問題(実際これが大きい)も考慮して、「1年」って設定した。これは好き勝手やらせてもらって周りに迷惑かけてる自分との約束。だから1年、全力で学べることは全て学んでくる、やり残しがないように、不完全燃焼しないように。
とはいっても心残りはできるんだろうけどね。それが旅。笑
それにあんまりにも長期間だと、旅自体に飽きちゃいそうで、それはもったいないし。
「なぜ来年?」
来年ってのは譲れないポイント。アメリカに留学して、インドに行って、たくさんのことを学んだ。今、強く感じるのは、「あの経験はあの時だったからできた」ってことだ。きっとあのタイミングじゃなかったら全く違った経験になってたかもしれないし、あるいはその経験自体ができなかったかもしれない。人生に強烈に影響する事であればあるほど、語学やスポーツなんかと同じで、なるべく早いうちに手を出すべき。また後でもう1回同じことしたっていいわけだし。
そもそもまだこない未来に期待すべきじゃないと思う、これ持論。極論しちゃえば明日死ぬ可能性だって常にあるわけで、今興味あることが10年後も等しく興味あるとは限らない。
それに旅には時間的な制約が大きい。今行きたい場所・見たいものが将来同様に存在してる保証はない。現に今ケニアの治安は荒れてきているらしい。
そういう意味で、「今」なんだって思ってる。
ちなみにもし途中でお金が尽きたり、もう十分だって心から思えたりしたら、途中であっても帰ってくるつもり。そのへんは臨機応変に。
とにかくフィーリングを大事にして、新しいライフスタイルを楽しんでくるつもり。
「なぜアフリカか」ってのも書くと長くなる気がするんで、それは次の記事で。
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