2012年4月3日火曜日

ベルベル人の村でホームステイ。


話は少し遡り、トドラ渓谷まで自転車を走らせた日のこと。

あと2キロほどで到着、といったところで、路傍に立つモロッコ人男性に声をかけられた。日本語で。

始め、一瞬「客引きかな?」なんて思ったが、なんと飛行場で僕のことを見たと言う。

弟さんが経営しているというホテルへ連れられ、扉を開けると、日本人の奥さんがいた。

旦那さんの名前はハッサン、奥さんはセツコさん。

ほんとに同じ飛行機だったようで、僕がアジアン雑貨のピアスをつけてるのを見て思い出したとか。

「こんな偶然めったにあることじゃないしな」と、翌日からトドラに滞在することにした。




トドラ滞在中はハッサンの弟さんのベルベル結婚式に参加させてもらったり、クスクスやタジンを皆でつっついたりと、貴重な体験をさせて頂いた。

モロッコに長く住んでられるセツコさんから、現地に住んでみないと分からないモロッコ事情をたくさん聞くことができ、この国の一面を知ることができた。

そんなトドラ滞在中、以前メルズーガでゲストハウスを経営されていたノリコさんにお会いする機会に恵まれた。

前に日本のテレビにも取材されたノリコさんは超有名人。そのノリコさんの紹介で、グルミマという町で「ベルベル人家庭でのホームステイ」を企画されてる、JICA隊員のヨーコさんに辿り着いた。

出国前に偶然見つけたモロッコ紹介サイト、HAKKA HAKKA。そこには、ベルベル人の村で3食ついて一日80DHでホームステイできる、という旨が書かれており、「行ってみようかな」なんて思っていた矢先の出来事だった。





と、そんな経緯で5日間滞在したトドラを後にし、トドラでノリコさんのゲストハウスに宿泊していた世界一周旅行者の永田さんを道連れにし、グルミマ行のバスに飛び乗った。

地球の歩き方にも載っていない町グルミマは、エルフードやメルズーガへ向かう一本道の途中にある。特に観光するような場所でもないので、大抵の旅行者は素通りするだろう。

そんなグルミマの中心地からバイクで10分くらいの岩山の麓にある家に、3月の28~31日までホームステイしてきた。そんな4日間の出来事を、毎日つけている手日記から引用しながら、写真を添えて、体験記としてまとめようと思う。

耕作のシーズンでもなく、何分することが無かったので、淡々とした手記ではあるが、最後まで目を通して頂ければ幸いだ。






3/28

ティネリールから約1時間、グルミマに到着。運賃は20DH。バスの遅れはおよそ30分。

街中を高校生が大勢して自転車漕いでいる。下校時間だろうか。

思っていたよりも大きい町で驚く。もっと砂漠の真ん中みたいな所イメージしてた。

ヨーコさんに連絡して、TAXIでホームステイ先の家へ。

道がないのか途中で降ろされ、石ころだらけの雨降る中を歩く。ギターが重い。



ようやく着いたのは、レンガの表面をセメントで固めた一階建ての家で、リビング・キッチン・部屋2つ・謎の空間、と、至ってシンプル。

家族構成はおじいちゃん、おばあちゃん、息子×2、嫁、赤ちゃん。

英語どころかフランス語も通じない。身振り手振りとノリで会話。赤ちゃん可愛い。

あまーいお茶を飲みながら、ギター弾いたりベルベル語ならったり。

謎の空間に茣蓙ひいて毛布2枚かけて寝た。こっちの夜は想像以上に冷える。





3/29

ロバの泣き声で目を覚ます。「鳴き声」じゃなくて「泣き声」。引き笑いみたいで悲しげに鳴くのね、ロバって。

朝ごはんは自家製のパンに卵焼き。あまーいお茶を3杯飲む。

その後、ニコニコくん(息子その1。いつもニコニコしてる。)に連れられ、裏の岩山に登った。

意外に高い。ゴツゴツした岩の隙間を縫うように微妙な道が。フンが落ちてた。ノマドの通り道?



頂上からの景色はスゴい。石っぽい砂漠の真ん中にオアシスがあって、それを囲むように町がある感じ。遠くを見ると、手が届きそうな雲の下をノマドが歩いてる。



家に戻ると嫁さんがパン焼いてた。昼飯はそのパンの間に具つめて焼いたピリ辛ピザみたいなの。美味い。

腹もふくれ、TVのコーラン放送のんびり見てると、おじいちゃんが「着いて来い」と。

後ろくっついて歩いていくと、オアシスの中を案内してくれた。

ナツメヤシとオリーブの木々に囲まれて、鮮やかな緑を放つ麦の穂。連日の雨で洗われたのだろう、緑が眩しい。






『狼が走った』ような麦穂跡を横目に歩くと、その奥に顔を覗かせた無人のクサル(昔の集合住宅)。

砂漠の真ん中とは思えないほどの緑に圧倒されながら、昨晩の雨でぬかるんだあぜ道を歩き続けた。



帰宅し、セルマちゃんの写真を数枚撮ったあと、ゆるーっと昼寝をしていると、ヨーコさんが様子を見に来てくれた。JICA隊員として、この村で女性の収入向上を目指すプロジェクトをされてるらしい。出身が新潟だというのには驚いた。

他にも日本人の看護士の方が町にいるとかで、紹介をお願いした。



ヨーコさん帰宅後、アグダールで買った青いベッドカバーサイズの布を屋上に広げ、ギター弾いたり音楽聴いたり。空を見上げると、視界に映るは青、青、青。

永田さんから誘われ、ギターとデジイチ首からぶら下げ近所を散歩。朝寒いくせに昼間の日差しは強い。

下校時間なのか、中学生たちが砂利道を自転車で走り抜けていく。おもむろに腰かけ、ギターで適当にジャンジャカやったら、例によって人だかりができた。





一通り弾き語ると、これまた例によって「触らせて~」攻撃。四方八方から伸びる手。

別に触らせてもいいんだけど、人数多いと取り合いになってきり無いからなー。じゃあ弾くなよ、って話だけども。

夜はモロッコの銭湯「ハマム」へ。初ハマム。ハマムデビュー。ハマムって文字、なんだか美味しそう。

前髪オシャレンティーくん(近所の少年。前髪おしゃれ。)の家で野菜たっぷりスープをご馳走になり、2キロほど歩いて、彼と僕と永田さんとおじいちゃんの4人でハマムへ向かう。

ハマムの様子は↓の写真参照。大衆の風呂、って感じで楽しかった。



帰り道は暗かった。電灯が少ない。月の光を頼りに家路を探る。時々遠くの空に稲光が見えるが、音は聞こえない。

夕飯のマカロニはお世辞にも絶品とは言い難かった。






3/30

早くに床に就いたからか、早朝に目覚めた。朝日が昇ったばかりのようで、岩山がオレンジ色に輝いている。

夜中の雨はどこ吹く風と、青空が心地よい。ただ、風が強く、肌寒い。

朝食に野菜トロトロスープを2杯、あまーい茶を4杯。甘党の僕には嬉しいが、心なしかモロッコに来てから体が重いのは気のせいではないだろう。

朝食後、おじいちゃんに連れられオアシスへ。無人だと思っていたクサルのひとつに入っていくと、おじいちゃんの両親が座っていた。ここでも砂糖水のような甘ーい茶2杯振舞われた。



帰宅すると、ニコニコ君が「着いてこい」と言う。村を見学させてもらうことになっていたから、その案内かな?なんて思いながら後に従う。





・・・がしかし。着いた先はただの砂漠。炎天下、片道1時間半歩いた。石砂漠は歩きにくい。

特に見晴らしが言い訳でもない(いやまあ綺麗なんだけどさ)。どこに行くかも告げられず、ただ往復で3時間、よくわからん所に行って戻ってきただけ。さすがに少しイラっとした。

帰宅し、前髪オシャレンティー君とか近所の子らが家の前でたむろしてたからギターをとってくる。そして、『D』コードを鳴らそうとしたとき異変に気づいた。

1弦が切れて結んだ跡がある。チューニングはバッラバラ。

こないだ自分で切っちゃって張り替えたばっかりだから、予備もない。そういえば最近触るたびに妙にチューニングずれてるなあ、なんて思ってた。

ニコニコ君。奴の仕業だった。

トータルで言えば僕が悪い。

言葉通じないときに音楽で、って思い持ってきたギターだったけど、結果的に見せびらかしてるように映っていたのかもしれないし、第一、荷物に鍵かけてなかった僕が悪い。無用心とかじゃなく、マナー違反。

それは分かってる。

けどさ!

いい大人が、弦ぶちきって、こっそり直して(←ここは器用で無駄に感心)、謝罪も報告もないってどうよ!?

午前中砂漠をアホみたいに歩かされたこともあって、一発かましてきた。バトル。

で、例によって言い過ぎた。日本語と英語で静かにガチ切れ。切った弦で遊んでたの見たら、つい。まだモロッコなのに、こんなにガマンきかないとは・・・

これからブラックアフリカ、大丈夫か・・・?

昼食はクスクス→タジン→オレンジのフルコース。美味い。

ニコニコ君の姿はない。おじいちゃんとおばあちゃんのベルベル語会話が僕を叱責するもののように聞こえてしまう。

罪悪感。僕だったら客に景色魅せるために1時間半も炎天下でニコニコしてられるだろうか・・・?

3時ころ、ヨーコさんが迎えにきてくれた。それと同時に降り始めた天気雨。

仕方なく茶を一杯すすり、外に出ると空に架かる低い虹。カスバにかかる橋。珍しい。綺麗。





そんな風景を眺めながら、徒歩でヨーコさんが活動されてる女性アソシエーション見学へ。

着いた家には、元気な80くらいのおばあちゃんと、おばちゃんたち。ここは少し黒人系の集落。皆親戚やら家族で、一緒に暮らしているらしい。大所帯だ。

伝統的な刺繍なんかを支援している活動場所は、教室1つ分くらいの部屋。ミシンや机、黒板、PC(WindowsXP)が数台。設備が整ってる。下地があるだけに、ヨーコさんの任期後、派遣が途切れてしまうらしいのが悔やまれる。

でもここの人たちは、ホントに「貧しい」って感じじゃないから、支援も色々難しいのかもしれない。

再びおばちゃんたちの集会所に戻り、JICA看護士のヒロコさんともお会いした。ここでは、ルール上、直接の医療行為ができないそうで、その葛藤なんかのお話を伺った。



夜、おじいちゃんにもらったタバコがゲロの味がした。ワカバは美味しい部類だってのに気づいた。

屋根の上から見える月が綺麗だった。





3/31

もう3月も終わり。早い。僕の狂いまくった旅程と裏腹に、時の流れだけが無常に過ぎていく。

朝6時に起床し、マラケシュに向かう永田さんを見送った後、おじいちゃんと1時間歩いてタバコを買いに。モスクの前でタバコ売ってた。



まだ7時。朝焼けに染まる岩山が美しい。

屋根の上で音楽を聴いていると、もうずっとここに住んでるかのような錯覚に陥る。

リビングに戻ると、TVのコーラン放送を子守唄に眠るセルマちゃん(赤ちゃん)。そう、ここはイスラムの国。



おじいちゃんがロバにまたがり「スークへ行く」と言うからひょこひょこ着いていったら、迷路のようなオアシスを片道1時間半は歩いた。遠すぎ。

ビニールバッグいっぱいに野菜を買いあさる。サヤエンドウは1キロ30円。安い。





早朝から歩き続けたのもあって、疲れて眠る僕。ヨーコさんが迎えにきてくれ、起床。

荷物まとめて家を出ようとすると、「ご飯食べていきなさい」とおじいちゃん。

結局がっつりタジン食べさせてもらった。最後の最後まで本当にお世話になった。

言葉は通じなかったけど、おじいちゃんとはいっぱい話した。

別れ際、あふれ出そうになる涙を必死でこらえた。






















と、以上が僕のグリッシュウルウイ村での4日間の記録だ。

「何を学んだか?」と問われると少し言葉に詰まってしまう。

ただただ、淡々と、特に何かするわけでもなく、ベルベルの生活に溶け込む。そんなホームステイ体験だった。単純に「楽しかった」とかではなく。

普通に観光地だけを回っていたらこの体験はできなかった。バスで通り過ぎていく砂漠の村の民が、巡り巡る毎日をどう過ごしているのか、なんてのは一生知ることができなかっただろう。

ほんの4日。たかだか4日である。

だけど、その短い期間には、ほっこりした暖かさがあった。

みんなで素手でつっつくタジン。おばあちゃんが最後に肉をちぎり分けてくれる。みんなですする甘いお茶。

異郷の文化と空気が身に染み込むような気がした。



僕の旅はこの先も続き、おじいちゃん一家の日常は繰り返される。

同じ空の下、見えているものは違っても、時間だけは平等に過ぎていく。

きっとおじいちゃんは、また土曜日になるとロバにまたがってスークに向かうんだろう。

そんなことを考えてると、なんだか暖かい気分になる。













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