2012年9月29日土曜日

ンゴロンゴロでサークルオブライフを感じる。


僕の誕生日当日とその翌日、「チームキリマンジャロ」メンバーである「おぎの」と「三原」が終にアフリカにやってきて、久しぶりの再開と仲間の到着を喜びながらナイロビ滞在最後の数日を過ごした。当初の予定では3人でひとまずタンザニアの国境近くの町・アルーシャに向かい、そこを基点にサファリに行くつもりであった。

が。

三原が出発予定前々日に「おれケニア山登るわ、先行ってて」などと言い始めたので、再びタンザニアでの合流を誓い、ナイロビ市内の安バスオフィスへと赴いたのだった。(三原のケニア山の記事)

つい最近までナイロビの日本人宿として名を馳せていたニューケニアロッジ、昨今盗難やら何やらですっかりその地位を我らがJJ’sに明け渡したようであるが、そのニューケニアロッジ前の通り沿いに早足だと見逃してしまいそうな貧相なバスオフィスがある。スパイダーコーチという名のその会社のバスには案の定いささか美的センスを欠く蜘蛛のイラストがデカデカと描かれている。日もとっぷり暮れて街中の雰囲気も随分と胡散臭くなってきた頃、車内は案外に快適なそのバスでタンザニアへと向かって出発した。44日も滞在した土地を離れるのはやはりなんだか寂しいものであったが、久々の移動とここから始まる後半戦の新しい旅に少なからず浮き足立っていた。今回は高校の同級生おぎのが一緒なのだ。知らない地に赴く時、1人じゃない、というのは想像以上に心強い。現実的にも、トイレの間荷物を見てもらえたり、出入国手続き中の暇を潰しあえたり、と、すごく楽。思い返してみると、ここまでの旅路での移動は圧倒的に一人が多かった。それだけに本当に心強い。そんな心持で、記念すべき6カ国目の国境を越えたのだった。

アルーシャはタンザニアの国境付近の町で、思っていたよりも大きな町並みに驚かされた。街中を走るメインストリート脇を歩く、色とりどりの布を纏ったマサイの姿が目に付く。同じスワヒリ圏だが、ケニアとの空気の違いを感じる。ホテル・アルーシャバックパッカーズに荷物を置き、軽い朝食だけ済ませ、早速ツアーオフィスへと足を運んだ。アルーシャはキリマンジャロ登山や国内に数多く点在するサファリへの基点となる町で、10分も歩けば胡散臭さを具現化したようなツアーオフィスの手先に何回も声をかけられる。こんなうウザったさも随分懐かしい気がするのは旅人としてどうなんだろう、なんて思いながらオフィスを巡り歩いた。

キリマンジャロ登山開始よりいくらか早くタンザニアにやって来たのには理由がある。中学1年の夏休み、獣医になりたかった当時の僕は、親父に頼んでケニア・タンザニアのサファリツアーに参加していた。子連れのチーターの狩りやライオンの激しい交尾、ダルそうに昼寝するヒョウやキリンの佇まいの美しさなど、数々の思い出と衝撃の2週間だったわけだが、1つだけ忘れられず、もう一度見たい、と切望していた風景があった。それが「ンゴロンゴロ」である。

ンゴロンゴロ保全地域はタンザニア北部に位置する南北約16km、東西約19kmにも及ぶ巨大なクレーターの底にある。所謂カルデラと呼ばれる地形で、標高2300~2400mの火口線から600mも凹んだその巨大な穴の中では多くの野生動物たちが一つの生態系を成している。この世界有数の規模の火口壁に囲まれた空間には人間は住んでおらず、さながら動物たちの楽園の様相を呈している。ここを訪れた9年前、サファリ前日に宿泊したキャンプ場からの風景が今回僕を再びこの地へと駆り立てた。

-------朝目覚めるとキャンプ場一面が霧がかっていて、動物や鳥の声だけが何処か遠くから木霊するように聞こえてきた。しばらくすると霧が晴れ、ンゴロンゴロが姿を見せ始めたのと同時に、その巨大なクレーターへと火口上から霧が雪崩れ込んでいった。その中には多くの動物がいて、彼らが一つの生態系を成していて、世界から文字通り「断絶」された環境で生まれて死んで、という、何か大きな目に見えない者にプログラムされたかのように生き続けていて...その事実とそれを目前にしている自分自身の卑小さが、この圧倒的すぎる風景を前にすると不思議と心地よかった。-------

あの風景が忘れられない、可能ならもう一度見てみたい。そんなちっぽけな思いを抱きながら、格別に胡散臭いサファリツアーのオフィスで$245を支払ったのだった。



翌日の午後、ホテル前にジープが迎えに来た。車内は僕らだけの貸切で、アルーシャから少し郊外に走ると、そこはもう一面のサバンナだった。牛や羊を連れ歩くマサイ、天に向かって両手を広げているようなアカシア、そしてケニアでは見ることのなかったバオバブの木々...。手際の悪いドライバーへの苛立ちも忘れて、突き抜けるような広い空を眺めながらギターをかき鳴らした。


ンゴロンゴロのクレーター上にあるシンバキャンプ場に到着したのは日が暮れた頃だった。鬱蒼とした木々に囲まれた山の中、そこだけが平らに整備されている。キャンプ場の真ん中には大きな木が一本立っていて、記憶の中のそれと違わぬ景色をこうして9年ぶりに見ているというのはなんだか感慨深い。早速テントを張り、野外キッチンで夕食の支度にとりかかった。観光客にとって今はハイシーズンの盛りなのであろう、多くのテントが建てられ、火を囲んで自分たちのコックが食事を運んでくるのを待っている欧米人グループが目に付く。前に来たときは三食ついたツアーで僕も彼らと同じように火を囲んでいたので、調理場に入るのは初めてだったわけだが、そこでは男たちが賑やかに調理に取り組んでいた。皆「ハクナマタタ!」と超親切で、出来上がったカレーは体の芯から温まるほどほっこりしてた。


食後にはワインを飲みながら、欧米人のキャンプファイヤーの残り火を拝借して、夜空を眺めた。9年たっても大した電灯がないのは相変わらずのようで、天の川が随分はっきり見える。そうして夜も更け寒さも厳しさを増した頃、翌朝の景色に期待しながら、狭いテントで仲間と身を寄せ合い目を閉じた。


翌朝目が覚めると、あたり一面白の世界。寝ぼけながら珈琲をすすり、あたりを歩き回った。そこまで広くもないキャンプサイトのはずだが、濃霧のせいか距離感がおかしい。夜中に草を食みに来た動物たちの糞がそこらかしこに落ちていた。「晴れろ」、心底そう願いながら立ち尽くしたが、霧は一向に動く気配もない。そのうちにとうとうクレーター内へと出発する時間になってしまい、後ろ髪を引かれる思いでジープに乗り込んだ。クレーター下降口までの道のりも霧が立ち込めていて幻想的な雰囲気。中島みゆきのヘッドライトテールライトが妙にハマる。「きっと前に見たアレは相当ラッキーだったんだな」、そう自分を慰めながら霧深い景色を眺めていた。


そんな半ば諦め哀愁ムードだったのだが、クレーターへの下降口に着いた時、目の前に広がった景色に思わず息を呑んだ。カメラに収まりきらぬ程巨大なクレーターの上空一杯を覆う鉛色の雲、そこに一本線を引いたかのように雲が切れていたのだ。そこから差し込んだ優しい色の光がンゴロンゴロの大地を照らし、鳥や獣の鳴き声が大気を震わせている。圧倒的な大自然の神秘。いくら言葉を探してもあの感動の伝え方が見つからない。思わず嘆声が漏れ、バッファローの頭蓋骨脇に佇んで、眼前の奇跡を見守った。

『サークルオブライフ』

天から差し込む光の梯子を見たとき、頭に浮かんだのはこの言葉だった。自分自身も地球の一部である、という命の循環。理解はしていても腑に落ちるような経験は得がたいだけに、正しいのかも分からないが、あの景色の圧倒感にはそれに近い神性を感じさせるほどの輝きがあった。生きとし生けるものは世界やら神やらと呼ばれる最高次の運命に内包され、不平等という平等の元に限りある命を淡々と生き、宿められた運命にも関わらず完全に自由で、そういった全ての理屈と感情とを抱きながら命は巡っているのだ。そんなことをごちゃごちゃ考えていると不意に涙が出そうになった。「ンゴロンゴロ、魅せてくれるねえ」そんなことを一人呟きながら、これから600mの火口壁を下るジープに飛び乗った。

地球、すげえ。














以下はサファリの写真たち。







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