もう随分と前の話になるが、9月下旬、自転車を購入した。
大学入学の頃から憧れ続けた「ロードバイク」。アフリカで実際にチャリを漕いでみて――あの時買ったのは「マウンテンバイク」だったが――その思いは一層強くなったにも関わらず、この3年間手を出せずにいた大きな原因は、秋田の空模様だった。日照量が少なく雨がやたらと降る上に、冬の始まりは地元新潟より優に1ヶ月は早い。それを考えるといつも踏み切れずにいた。
だが、世の中には便利なモノがあるものだ。「ローラー」と呼ばれる室内自転車練習具、その存在を知ったのが2ヶ月前のことだった。そこそこの値段で、洗濯機より弱い程度の振動だという。ちょうどアニメ「弱虫ペダル」の二期が始まる直前のタイミングだった上に、1週間程前には群馬から秋田までロードを漕いできた友達の親父と酒を飲んでいた。さらに、その週末連休はこの季節の秋田に珍しいくらいの晴れ予報で「これは啓示に違いない!」と、この3年間何度もウィンドウショッピングした自転車屋へと向かった。
その週末は早速、友人と男鹿半島北端を目指した。往復140kmの帰り道は泣きそうになる山道が続いたが、ふと足を停めて眺めた夕陽の眩しさが懐かしかった。
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そして1ヶ月前、3連休を使って地元新潟へツーリングに出かけた。
秋田—新潟間は高速道路がないので、いつも帰省には電車を使っている。7号線沿いを走るその車窓からの眺めが好きで、いつかこの道を自分の足で走り抜けてみたいと思っていたのだ。
秋田市から新潟市西蒲区までおよそ260km、1日で行けるかなと楽観していたが、実際は道に迷ったり街中で迷ったり予想以上の県境の山道にいじめられ、1日半かかった。総走行距離は310km。自分でも良く頑張ったと思う。
右そして左と淡々とペダルを踏み続け、地図上の点でしかなかった街や村が肉感を伴った距離で結ばれ線になる、あの懐かしい感覚を久しぶりに味わった。県境の山道は邪悪と言って良いほどで、例によって「何でインドア系の俺がチャリなんか漕いでんだ」と自問自答が浮かんだが、登り切った後の下り坂を時速50kmで駆け抜ける度に「やっぱチャリサイコー!」なんてひとり叫んだ。
道中、目新しい発見こそ無かったが、憂いを帯びていてどこか懐かしいような風景を横目に眺めた。海を背景にポツンと佇むバス停、くたびれた漁村、浜辺に打ち捨てられた木船、田んぼの真ん中のセブンイレブンでアイスを買い食いしている高校生、1人でゲートボールをするジイさん、轢かれて死んだイタチ、こちらをじっと見つめる猿の親子、流れる雲、山間にへばりつくような寒村、稲を刈り取った後特有の秋の匂い、すれ違うチャリダーと交わす挨拶、閑散とした商店街、バイパス下の細い道、のんびり釣りを楽しむ親子・・・。
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先日、相方のミハラ君から唐突に一言「対峙してる感覚、だよな」とLINEがきた。
奴は今なぜかボクサーを目指しているようで、毎日砂袋を叩いているらしい。何がそんなにオモシロいのか理解しかねるが、久しぶりに僕自身純粋に試されるように自転車を漕いで、結局それは「対峙していること」そのものなのかもしれない、とふと思った。
前回のエントリー「物語と敵」にも書いたが、究極的には自分自身の生を賭して対峙するべき何か、つまり広く抽象的な「敵」を見つけることは急務だ。ただ、その敵を求めようとする心には対峙を求める感覚があって、あるいは僕はそれを自転車を漕ぐことそのものにも感じていて、それが故にクソみたいにヘバりながらペダルを回しているのかもしれない。
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