2011年12月9日金曜日

僕らがキリマンジャロを登ることになった経緯。




キリマンジャロ。赤道直下にあるにも関わらず、年中氷雪を見ることのできるそのアフリカ大陸最高峰の成層火山は、キボ峰の5895mをピークとする言わずと知れた名山だ。

スワヒリ語で「山」を意味する「キリマ」と、チャガ語で「白さ」を意味する「ンジャロ」の混合名詞であるキリマンジャロは「白く輝く山」という意味を持ち、マサイ族に「ンガジェンガ(神の家)」と呼ばれている。

アフリカ独立の象徴であるその山は、かの有名な珈琲豆の銘柄にその名を引用され、ヘミングウェイが最大の賛辞を送ったことでも有名であろう。

小学校の頃、音楽の教科書に「キボっキボっ」などと逆さに読むとちょっとマズくね?みたいな歌詞で始まる歌が掲載されていたように、日本人にとってもエベレストやマッキンリーなどの名山と同じくらい馴染み深い山なのではないだろうか。



そんな神が宿る山に、登ってくる。来年。夏。


もちろん目指すはアフリカ最高点5895mのキボ峰。


今日はこの計画の経緯について少し書こうと思う。








まずは一緒にアフリカ大陸のてっぺんを目指す、チームキリマンジャロのファンキーな男共を僕の独断と偏見で紹介する。




チームキリマン 団員No.1 おぎの
千葉大学2年。チームキリマンの中で最も爽やかなお洒落ボーイ。
大学に入って「バリ島チャリ1週」や「タイ・ラオス5万円放浪」などの伝説をうちたてた。ファンキーな発想力と行動力を合わせ持つパーティーボーイ兼チームのリーダー的存在。
ちなみに彼は来年世界一周をもくろんでいる(らしい)。





チームキリマン 団員No.2 たかと

北海道大学2年。歩く男性器として地元新潟ではブイブイ言わせてた男。
イエモン(お茶)を執拗なまでに好む。もはやイエモンが主食で飯はおかず。
特筆すべきはそのエロさ。全身からほとばしるそのエロオーラには、ネテロ会長も目を見張る。
そんな彼のポテンシャルは謎。ものすごい力を秘めてる感はある。
今現在何を思い何をしているのかは不明。唯一の彼に関する情報はタリーズで働いているということのみ。







チームキリマン 団員No.3 みはら
東工大1年。50万のバイクを衝動買いする以上にビッグな器を持ち合わせた男。
こいつは本当に何をしでかすか分からない鬼才タイプの人間。
ぶっちゃけ高校の頃は彼とはほとんど会話という会話をしたことがなかった。学校こないし、なんというかどこか不思議な雰囲気を持っていて。
しかし浪人期のとある出来事をキッカケに、今では朝の3時から8時までスカイプで夢を語り合うほどになった。
ちなみにみはらとはキリマンジャロ登頂後、自転車でアフリカ大陸を駆け巡る。








とまあ、こんなところ。これに僕が加わって、チームキリマンジャロは現在4人ユニットだ。全員違う大学にて異なる夢を追って日々を過ごしている僕らの共通点は、全員新潟高校の同期であること。その1点で僕らは繋がっている。








事の発端は今年の5月上旬のおぎのの秋田訪問にあった。

仙台で被災地ボランティアを終えたおぎのは、その帰りに秋田の僕のアパートを訪れた。この日直接奴の口から聞くために、それまであえて聞かなかったおぎのタイ放浪の話を肴にあして、ビールを片手に持ちながら僕らは朝方まで語り合った。

僕にとってそれは本当に楽しいひとときで、それまで旅について語り合えるような友人が彼以外にいなかったことや、彼と目指すベクトルは違うといえど共有できる想いが多かったこともあって、酔いもまわって話は非常に弾んでいた。

「なんかぶっとんだことしてえな!」

これは彼と僕の口癖だ。その夜も何度となく口にしていた。

ふと、僕が何の気なしにつぶやいた。

「キリマンジャロ登ってみてえな、登山ってアツくね?」

これにはわけがあった。時は遡って浪人期の12月、僕は父と父の師匠とキリマンジャロに登る計画を企てていた。某代○木ゼミナールを7階まで階段を使わず登ったりと、当時の僕はこの受験直前の愚行にかなりの的外れな情熱を注いでいた。

結局その話は師匠の体調の都合で流れてしまい、キリマンジャロに対して僕はずっと片思いだったが告白できず離ればなれになってしまった男女のようなワダカマリをどこか抱えていた。

そんなこともあって、この気の置けない友人に、ふと、そのことを話したのだ。

おぎのは暫く見ないうちに既にヒッピーのように伸びまくった髪をかきあげながら言った。

「え、それいいじゃん、のぼろうぜ!」

これが全ての始まりだった。ノンフィクションである。計画性もクソもない、ただのひらめき・フィーリングから生まれたアイディアだった。

「じゃあメンバーどうする?」

「ケンタカの奴らにメールするわ」

そう言って僕は高校卒業後にやっと手にした携帯初号期を取り出し、同期の仲間の顔を思い浮かべた。

(キリマンジャロ登ろうって言ったら来そうな奴・・・)

すぐに思い浮かんだ。こんな突拍子もない話をされてYESというアホウが2人。

たかととみはら。興奮しすぎて長文メールを打つのもめんどくさかった僕は、彼らにただ一文、メールを送信した。

『年末キリマンジャロ登るから開けといて』

みはらの携帯履歴から誤字まで正確に引用してみた。

驚いたのは2人から速攻で

『わかった』

と返事があった。酔狂な奴もいたもんだ本当に。







こうして僕らのキリマンジャロ計画は始動した。

全員が本格的な登山は初心者である。

もちろん、僕自信登山は初めて。今まで登った山は角田山と弥彦山の5合目までだ。キリマンジャロと比べれば鼻くそのような地元の山である。 

それからスカイプなどで会議を重ね、当初年末に登る予定だったキリマンジャロは2012年の夏にアタックすることが決定した。

「2012年の夏、キリマンジャロ集合。」

これが我々チームキリマンジャロに与えられたファーストミッションである。

参加を決めた理由は、僕を含め、個々人いろいろあるだろう。ただ結局のところ、それらはフィーリングに収束される気がする。

何かでっかいことやったろう!という、若者特有のモラトリアム精神全開で、僕らはアフリカ大陸のてっぺんをバカになって目指す。

何が得られるかなんてわからない。

ただその一瞬の感動と生涯の達成感のために、そして何よりも、その「神の家」のてっぺんで最高に美味いキリマンジャロ珈琲を飲むために、僕らは今日もバイトに勤しむのである。













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