2012年8月11日土曜日

キベラ訪問記



東アフリカ最大のスラム、「キベラ」。日本から遠く離れたケニアの地にあるそのスラムの存在と名前を初めて知ったキッカケは、高校時代に読んだ一冊の本だった。

『アフリカ日和』、ケニアの首都ナイロビに暮らす著者・早川千晶さんの生活者ならではの視点が、そのオレンジ色の表紙に顔負けない位に色鮮やかに描かれていた。「ケニア=野生動物の王国」、今まで二度訪れたことがあるにも関わらず長いことそう思い込んでいたが、それだけではないケニアの様子、特にキベラスラムの話が印象的だった。




早川千晶さん プロフィール

早川 千晶(はやかわ ちあき)

ケニア・ナイロビ在住のフリーライター。
1966年福岡生まれ。
東京外国語大学インド・パーキスターン語学科ウルドゥ語専攻中退。
1987年世界放浪の旅に出発し、アジア、ヨーロッパ、アフリカ各国を旅した後、1990年にケニア・ナイロビに定住。
ケニアで旅行会社に9年間勤務し、旅の企画や撮影コーディネーターを手掛けた後、1999年にフリーライターになる。
現在は執筆活動のかたわら、ナイロビ最大級のスラム・キベラでのストリートチルドレンのための学校建設・運営、スラム住民の生活向上プロジェクト、リサイクル運動、大自然体験ツアー、アフリカの面白さを日本に伝えるイベントの企画、マサイのコミュニティが行うエコツアーのサポートなどを行っている。
1999年から日本全国各地でアフリカトーク&ライブのツアーを毎年行っている。

著書
「アフリカ日和」(旅行人)
「輝きがある。~世界の笑顔に出会う旅」(文化出版社)
エコロジー月刊誌 「ソトコト」
季刊 「旅行人」、朝日新聞などに連載



時は流れ、昨年11月。アフリカ渡航まで残り半年を控えた僕は、アフリカ関連のルポタージュ、旅行記といった本を、浮き足立ちながら手当たり次第に読み漁っていた。

『アフリカ日和』を再び手に取ったのはそんな時だった。前に読んだ頃から随分と時間も経っていたが、不思議とキベラの章だけは鮮明に記憶に残っていた。

読了し、なんとなく大学入学祝いに購入したMacで早川さんの名前を検索した。すると驚いたことに、その当日、秋田で講演会があるという。しかも3時間後。

すぐさまHPに載っていた電話番号にダイヤルすると、まだ空き席はあるとのこと。突然の偶然に戸惑いながらも、初めて迎える東北の冬の始まりを感じさせる寒空の下、自転車を漕ぎ出した。

早川さんによるキベラの話、アフリカからの日本への応援メッセージ、石原さんという方のNGOの話...講演は秋田キャンパスネットという、アジア・アフリカに興味ある学生が集う団体が主催していて、秋田大生のよしみで講演後の打ち上げに混ぜてもらった。

この打ち上げの時、あろうことか部外者の分際で早川さんと石原さんの正面に座らせて頂き、酔いも手伝って、自分が来年アフリカへ旅立つこと、早川さんの本を読んでキベラを訪問したいとずっと思っていたこと、等を語らせてもらった。

それからも時折連絡を取らせて頂き、今回、キベラスラムのスタディツアーに参加させてもらえることになったのだった.....と、例によって無駄に長いが、ここまでがあらすじである。今回はキベラで見たこと、聞いたこと、感じたことなんかを訪問記として記録しようと思う。








8月6日、9:00am、集合場所のPrestigePlazaへと歩いてゆくと、日本と同程度の値札が掲げられた品々が棚いっぱいに並べられたその立派なショッピングモールの横に、トタン屋根の家々が見え始めた。道路一本を挟んでいるだけなのに、雰囲気が随分と違う。このPrestigePlazaの後ろに広がるのが東アフリカ最大のスラム、『キベラ』なのだ。

参加者が集まると、全員で列を成してモールの裏側へと進む。10分も歩かないうちにキベラの「入り口」に到着した。ここで4人の迷彩服姿に機関銃を携えた警官と合流。キベラの治安は、大抵のスラムと呼ばれる地域がそうであるように、良くはない(長年通っている早川さんでさえも先日襲われたと話していた)。万が一のための警備、という意味に加え、周囲への牽制の意もあるらしい。こういうスタディツアーで団体訪問者が訪れたスラムの一般家庭がその翌日強盗に襲われる、ということも決して珍しくないという。「自分が大丈夫だったから~」といって観光気分で安易に訪れて良い場所ではないのだ。

両側に露店がひしめく狭い道を歩く。当然舗装などされておらず、ビニール袋が分解されず土に還らないで道端に落ちているのが目に付く。野菜や七輪の炭などが街中で買うよりも随分と安く売られていた。




まず始めに訪れたのは織物で生活を営んでいる住民の仕事場。羊毛や蚕を買い付け、それを紡いで糸にし、タオルやスカーフなどを織っていた。もちろん電気などなく、全て手動だ。出来上がった商品は肌触りが気持ちよく、日本の市販品とだって遜色ない。そんなクオリティでも、生活を支えるのは困難だという。スラム出身、というだけで信頼も得にくく、そもそもの資本の獲得も難しい。当座の生活のために、安く買い叩かれてしまっても売らざるを得ないと言っていた。ここキベラで1ヶ月生活するのに、本っ当に最低限の生活でも3000Ksh(約3000円)はかかるという。日当100Kshのような、どんなに低賃金で雇われても、生きていくために働かざるを得ないのが現状なのだ。

次に訪れたのは「BIO GAS TOILET」なる看板が掲げられた公衆トイレ。お金を払って使用するタイプの公衆トイレで、発生したガスを生成することで燃料として利用しているという(実際はなかなか上手くいかないらしい)。キベラの生活において、「①トイレ」「②燃料」「③水」という、3つの大きな、そして生活の根本に関わる問題があると早川さんが言っていた。

①に関して、キベラの人々が身を寄せ合い住むトタン屋根の吹けば飛びそうな長屋には、大抵トイレが1つしかないそうだ。150人近くが住む家にトイレが一つ。皆で仲良くシェア、がどれほど難しいかは自明だろう。事実、ビニール袋に用を足し、夜中にそれを窓から投げる「フライング・トイレット」と呼ばれる行為が未だに行われているらしい。そんなキベラであるからトイレ・排泄物再利用系の支援のニーズは高いようだ。

②に関して、スラムに暮らす人々の主要な燃料は、ガスではなく、炭や薪である。当然これらの原料は木材なわけで、数え切れないほどの人が暮らすキベラでは相当量の木が必要となる。事実、キベラに関わらずケニアでは森林伐採による砂漠化が深刻な問題になっているという。また、近隣の「NGONGの森」と呼ばれる原生林から、貧しい人々が違法に木を伐採してしまうのも大きな問題で、森林保存を妨げるだけでなく、そうして逮捕された人の家族を路頭に迷わせ、時にはストリートチルドレンを生み出してしまうのだ。

③に関して、キベラでは恒常的な断水が問題だという。もともとハイエナ等の野生動物もいたような湿地帯だったキベラだが、流れる川はゴミで溢れた汚水で、とても飲料などできない(それを飲まざるを得ない人もいるらしい)。必然的に水を買うことになるわけだが、断水が続くとその値段が時に20倍近く跳ね上がる。生活の根底を支える必需品である水、それすら簡単に手に入らないのだ。




バイオガストイレの少し先は線路が通っていた。見晴らしの良いビューポイントがあり、そこからスラムを眺めることができた。遥か彼方まで続くトタン屋根の茶色。生ゴミのような臭いが截ち込める。日差しがいつもより暑く感じた。見渡す限りのスラム街の反対側は、緑の芝生が眩しいゴルフ場になっている。ふと、インドのムンバイで、5つ星ホテルの目の前で体重を量る事を生業としていたやせ細ったおじいちゃんの顔が浮かんだ。呪術的な薬屋(たいていは偽らしいが、効果を信じている人も多いという、惚れ薬なんかもあるらしい)を通りすぎ、スタンドバイミーよろしく線路を進む。廃線かと思っていたそれは、未だに使われているのだというから驚きだ。

線路のある高台から混沌としたスラムへ入って行くと、少し開けた赤土の広場で子供たちがサッカーの試合をしていた。ここは公共のスポーツスペースで、キベラではスポーツ(特にサッカー)が盛んだという。思春期ごろになると、特に男は、自分の将来に希望が持てなくなり腐っていくことが多いらしく、スポーツはそれを解消するのに一役買っているそうだ。ちなみにママさんチームもあるとか。

広場の脇では職人たちがベッドを作っていた。スラムで仕事を得るには、まず「ジュワカリ」と呼ばれる路上職人に弟子入りし丁稚奉公する必要がある。そこで物の作り方などの経験とスキルを学ぶのだ。だが、一人前のジュワカリになったとしても、一度病気にでもなると途端に収入が途切れてしまうし、商品のストックも多くはできない。そんな脆弱な基盤を支えるために、ジュワカリ同士が連携し合い、労働組合なるものを形成しているのだという。スラムに生きる者の知恵である。

またその横にはVCTと呼ばれるHIV検査所があった。ケニアではHIV検査も、その後の薬も全て無料。日本では保険に加入していても月々2万円かかることを考えると、治療の待遇は断然良い。だがしかし、キベラの住人はこの施設に足を運ぼうとしないという。その理由は、「周囲の目」を恐れていること。繋がりの強いキベラでHIV検査でも受けようものなら、それこそ「村八分」状態になりかねないという。同じ理由で、HIV母子感染予防のために粉ミルクの使用を奨励しても、普及し辛いのが現状だそうだ。HIVの偏った知識が差別を生む。貧困・教育・慣習...諸々の問題が複雑に絡み合っている、それがリアルなのだ。


そこから更にスラムの奥へと進んだ。道、というより長屋の間をくぐり抜けるようにして歩く。はぐれたら確実に迷う、その位複雑。そしてようやく辿り着いた、早川さんのサポートする「マゴソスクール」。現在376人の子供が通うマゴソスクールはキベラのど真ん中に建っている。ここの子供たちの多くは親から捨てられてしまったり、虐待を受けたり、働かされたりと、深い傷と辛い過去を持っている。376人の生徒の内、女の子は206人と男の子より多く、これは2歳や3歳なんていう頃からレイプされてしまうこともあるからだという。キベラでは、「生理用品を買うために売春する」、という事が実際に起こっているのだ。


そんな子供たちであるから、学校にはどこか暗い雰囲気があるのでは、と正直予想していた。が、門を開け中に入るとオレンジ色のシャツと同じくらい眩しい笑顔で子供たちが出迎えてくれた。「キャーキャー!」と大騒ぎ。でも話しかけると照れちゃう。なんてことない普通のケニアの子供に見える。彼らの背負っているものの暗さと重さは、彼らの瞳には窺えなかった。

マゴソは平均収入1日1ドル以下で暮らす人々が出資し合い、支えあい、助け合い築いてきた「希望の学校」だ。基本はキベラ周辺からの通学制だが、家が遠い子、親から虐待を受けている子のための寮もある。建物は想像していたものよりも全然立派で、壁に描かれたイラストが上手で驚いた。



ケニアでは音楽が盛んで、色んなジャンルごとに大会がある(日本でいう部活の大会みたいな)。この日は大会の前日で、マゴソスクールは数ジャンルで非常に優秀な成績を残しているとのこと。その謂わば本番前日のリハーサルを子供たちが披露してくれた。青空に響くような声の合唱、アフリカの大地を鳴らす心地よい太鼓の音、歌のようなリズミカルな詩の朗読、素敵な小道具を用いた様々な部族民謡...どれも「力強さ」を感じるものだった。


教室風景の見学では子供たちが皆自己紹介してくれた。名前、年齢、そして将来の夢。女の子には看護士、男の子にはパイロットや先生が人気だった。それが実際叶うかどうか、じゃなくて、こんな環境と人生の背景がありながら、夢が持てることの素晴らしさ、そしてそんな環境を作り上げてきたことの意義は計り知れない。「future, I want to be a doctor」って言ってる子も多かった。「子供は希望」、劣悪と言わざるを得ないキベラスラムにも、希望は育っている、そう感じた。





豪華な昼食後、近所の診療所を訪ねた。ケニア人で助産師資格を持つ看護士のフリーザさんは、「人が多いキベラで、もともと老後のためにって始めたのに、無料で診ることが多いわ」と笑っていた。ビッグマザー!って感じのおばちゃん。と思ったら65歳だそう。かなり若く見える、というかお若い。

スラムには7箇所診療所があるそうだが、この密集した人口に対しては圧倒的に数が少ない。また、慢性的な医師不足も問題で、最近safari.com(ケニアで儲かってる携帯会社)の慈善支援で手術室を手に入れたそうだが、肝心な医師がいないという。国境無き医師団もベルギーが入っているそうだが、彼らはリサーチ目的の無料診療をしており、患者がそっちに流れてしまうため、ただでさえ少ない診療所は大変だという。歪な支援の形、違和感を感じざるを得ない。

キベラの住人は、出産は基本的に自己出産で行うそうだ。フリーザさんの診療所では帝王切開が27000Ksh、通常助産が3000Kshで、ナイロビの大病院へ行くよりも割安ではあるが、「誰もそんな金額は払えない」のだそう。「命は金より軽くなり得る」、理想論者ではいられないスラムにおける医療の現実があった。

27床のベッドでは、まだ生後数日であろう赤ちゃんが毛布に包まれ母親に抱き抱えられていた。ケニアでは赤ちゃんの体を冷やさないように非常に気を使うという。彼らのワクチンは保健省が無料配布しているが、ポリオが度々流行り、手足を失う人が非常に多いという。また、妊娠中のマラリア感染も重篤であり、出産ひとつとってもスラムでの医療は厳しいものであるように感じた。

「Some of people are satisfied with the environment here. They can make change, but some people are not willing to do it.(キベラに暮らす人の中にはスラムの環境に満足している人もいるの。変わることもできるのに、変わらないことを選んでいる、それがスラムなの。)」

一日の最後に、フリーザ先生が放った言葉。まだ胸に突き刺さってる気がする。

確かにスラムの環境は劣悪だろう。だが、そこには一つのコミュニティがあった。何でも、とは言わないが、最低限の生活に必要な以外の物も売っている。独自のルールがあり、独自の文化があり、独自の生き方がある。ここで生きていく力がある者にとって、スラムから放り出されることが、例え世界とチャンスが広がったとしても、必ずしも幸せだ、とは言い切れないのではないだろうか。けれども、かといって放置すれば悪化の一途を辿るのは火を見るより明らかであろう。

「当の本人たちが少なからずスラムに満足している部分がある」

「難しい」、その一言では片付けられない問題だと、スタディツアーに参加して、それを肌で感じた。







キベラを後にする時思ったのは、「皆生きているんだな」、ってこと。

それこそマザーテレサの時代のインド・カルカッタの様な、フィリピン・マニラ郊外のスモーキーマウンテンの様な混沌をイメージしていた僕の目には、キベラが想像していたよりも明るく映ったのも事実だ(もちろん警察が着いて、比較的安全な場所を訪問したから、ってのもあるだろう)。

だが、事実として、「日本」なら死ななくて済む様な人々が、ここキベラでは数え切れない程死んでいるのだ。僕の主観ではキベラが人間の暮らすのに適した環境だとは到底思わないし、その未来が明るいとも正直思わない。歩いていると我先にと声をかけてくる子供たちの「How are you?!(アクセントはHow)」、それは可愛いが、同じくらい切ない。それでも皆、生きていた。一個一個の命が輝いて希望に溢れていた、って言えるような人間じゃ僕はないけど、でも皆、生きていた。

その事実を知れたこと。ケニア、アフリカの抱える一面を体感できたこと。

キベラ訪問という長年の夢を叶えてくれた早川千晶さんには、この場を借りてもう一度感謝したい。




キベラ診療所で働くフリーザ氏に、去り際に一つ約束をした。

「ケニアじゃないかもしれないし、もしかしたらアフリカじゃないかもしれないけど、僕も貴方のように、自分を必要とする誰かのために働ける人間になります」

絶対叶えてやる。これは自分の手で。絶対。






以上、長くなりましたがキベラ訪問レポートでした。旅が始まってから触れた、一番の「貧困」というアフリカの一面。これからも考え続け、同じくらい動いていきます。知行合一!

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2 件のコメント:

  1. ちゃりだー:とろーる。2012年8月11日 4:56

    お久しぶり!貴重な経験をしたね!!聞くのと見るのとでは違うんだろうけど、せめて聞きたい!貴方から!!!
    3週間後、じっくり聞かせてね!!!

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    1. ほんと貴重な体験でした。あと1週間後会えるの楽しみにしてますね!

      ってか、トロールって。笑 なつかしい。笑

      削除

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