2012年1月10日火曜日

にんげんの原点・ゼロポイント

11日ぶりに帰ってきた秋田は鼻水が止まらなくなるほど寒くて、特に用事のない僕はこたつに入りながらぬくぬく考え事。

ってわけでちょこっと考えてたことを。






えー、ご存知の通り、医学科卒業にかかる年数は私立も国立も公立も6年間で、他学科より2年長い。学生の半分以上は本当に医師になりたくて入学してきてる感じ(自分の学年的に)。

その中で最初から「〜医になりたい」ってアツい思い持ってる人は少数で、大半は6年かけて興味ある科を絞っていく、みたいなのが通常パターン。

僕が在学してる秋田大学では1年次から医療現場に触れようみたいな感じでけっこう病院実習とかがあったりして、それがどうだったかって個人的な感想は別にして、けっこう感じることはあった。







僕自身も、絶対コレ!、ってな強い希望はないんだけど、今一番「産婦人科」に興味がある。
職業柄、どの科にいっても生死に関り考えさせられることはあるんだろうけど、人間の「生」の瞬間にいちばん触れられるのはこの科な気がする。





「死」にも興味あるけど、「生」ってすんごい神秘だと思う。まず母親の体の中に別の命があるってすげーよ。

んで、生まれた瞬間の赤ちゃんって、イッサイガッサイのシガラミから開放されてて、シンプルに強く「生きる」ことを願ってて、なんだか象徴的。タブララサ。

地球上に1つ命が産み落とされた瞬間に立ち会えるとか、マジでアツいだろ。






アフリカやアジアの貧困地域でどんな医療がもっとも必要とされているか僕はまだ知らない(まあたぶん全部なのかな)。そのへんの話を実際に経験されたドクターから聞きたくて、放浪中はいろんなドクターにお話を伺いに行くつもりなんだけども。

こないだも新潟で、ケニアで活動されてるオモシロいドクターを紹介してもらってきた。なんだかんだ医者は安定職だから、やっぱりレールから外れる人って少ない。だからそんなお医者さんにお会いできるのはすごく楽しみだし、ありがたいチャンス。

だけども、産婦はどこへ行っても需要がある。どこにいても人が営む限り子供はいるわけで。こないだ読んだ、シエラレオネで「国境なき医師団」に参加された方の本読んでも、産婦のスキルは必要、って書いてあった。

もしかしたらあと5年の学生生活でまた考えが変わるかもしれんけど、今のとこは産婦一択。



















実習先の産婦人科の先生が言っていた。「産婦人科は激務」って。深夜だろうが早朝だろうが春だろうが冬だろうが、呼び出しがいっつもあるらしい。

その先生に、「辞めたいと思ったり後悔したことはないんですか」って聞いたら、「ないね。最高にやりがいがある仕事だ」って言ってた。カッコイイ。














まあ国境なき医師団とか言ってるけど、最も助けが必要で、最も病める人のために働きたい気持ちが割と強い。自分の中で。前にもブログに書いたかもだけど。

でも実際に、 誰かを救いたい!誰かの力になりたい! なんて、心から100%思えるほど、自分が聖人君子じゃないことは、この21年間でよーくわかった。

世の中の、ほんとにそう思い、それが原動力になってる人に憧れ、妬みもした。

だけど、誰か一人でも多くの人が自分の周りで笑っていてくれたら、それが自分にとって幸せなんだってことにも気づいた。

そして、誰か一人でも多くの人が自分と違う場所や世界や時代でも笑っていてくれたら、たぶんそれが自分にとって最上級に幸せ。

そこに国境とか人種とかなんて関係ないわ。

「世界平和」とかいっちゃうと、なんかちょっと大それてて途方もなくて軽い感じに聞こえちゃうけど、でもそれなんだと思う。自分がやりたいこと。今回の人生で。

もちろん、それが自分の単なるエゴじゃないか、ってのは一生かけて考えていくつもり。















笑顔 っていいよね。

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