ヌカタベイから船で約5時間、マラウィ湖に浮かぶ小さな島がある。
3時間程度で歩いて一周できてしまう程小さなその島の名前は「チズムル島」。モザンビークからわずか数キロの場所に位置し周囲は完全にモザンビーク領海に囲まれているにも関わらず、列記としたマラウィの飛び領土である。
約4000人の人々が本土からの輸送に依存しながらのどかに暮らすこの島には道路はない。電気の供給も時間指定があり、食糧を含め物などほとんど手に入らない。まさに「孤島」であり、こんな場所がまだあったのか、と思うほどの堂々たる田舎っぷりを見せていた。
アクセスの悪さ、情報の無さからこの島を訪ねる旅行者は多くない。実際、そこには何も無いわけで、わざわざ炎天下の中、小船に激しく揺られてまで訪ねようとする旅行者は変人と言って差し支えないだろう。
チズムル島、僕はこの島がすごく気に入ってしまった。1週間弱しか滞在しなかったが、島ならではの時間の流れ方が魅力的で、居心地が極めて良かった。
カメラを持って島内を散歩すれば、子供たちが「Give me picture!!(「写真撮って!」って意味だと思う)」と寄ってきた。
湖畔では陽気なオバちゃんたちが魚を干し洗濯をしていた。
島の中心は山になっており、そこから眺める夕日は湖の彼方へと真っ赤に燃えながら落ちていった。
毎日夕方になると湖に飛び込み、淡水魚とは思えないほどキラキラした魚たちと泳いだ。
携帯が使えるのは島のとある高台のみで、そこに行くといつも人々が携帯と睨めっこしており、その光景がすこし可笑しかった。
その日の食事のために木を拾い集めた。大量の薪で超巨大なキャンプファイヤーをしたら、島中の犬が鳴き出した。
バオバブを見ながら一日中呆けた日もあれば、釣りに勤しむ日もあった。
何も無いがある、チズムルにはそんなシンプルな魅力があった。
◆
この島ではオモシロい2人の旅人にお会いした。2人は旅の途中立ち寄ったチズムルで、島に一件だけあるゲストハウスの管理人をされていた(残念ながら今はもう管理人は辞められてます)。
独特の感性と優しい雰囲気を持った2人は、今までに会ってきた旅人たちとは何処か一線を画すものがあった。色々お話を伺い思ったのは、2人の旅のスタイルがすごく魅力的、ということだった。
世界一周の言葉に囚われず、自分の心が向かう土地へ赴き、ゆっくり時間をかけてその土地に深く関わっていく。2人がしているのは、そんな旅だった。
マラウィまでの旅路で、まだまだビギナーではあるが、僕も自分なりに旅のスタイルを確立してきた。
思うに、旅人なんていうのは所詮は余所者だ。非日常を求め渡り鳥さながらに移動を繰り返すわけだが、何処に行こうと結局そこにあるのは誰かの日常で、そこに深く関わりたい、あるいはその輪の一員になりたい、と試みるもそれがなかなか難しい。もしかすると旅人自体がどっちつかずな放浪者の宿命なのかもしれない。
だが、例えそうだとしても、その土地で、等身大で、人と、自然と、肩肘張らずに溶け込んでいくこと、それが自分にとっての理想のスタイルだ、そう気づいた。観光ばかりを繰り返すだけの旅はもう十分だった。
旅なんていうのも所詮言葉だ。何をしようが当人がそれを旅と言えばそれは旅なのであるから、旅のスタイル、なんていうのも勝手な思い込みを言葉にしただけに過ぎないのだが、お二人のそれは自分のしたい旅にすごく近くて、それでいて自分もそんな旅をしてみたいと思わせるものだった。
自分にはどんな旅ができるだろうか、自分の旅は今のままでいいのだろうか。
雄大なマラウィ湖を眺めながら考え続けた。
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