ケープタウン シグナルヒルからの夕景 |
8ヶ月半、東アフリカ。王道ルートも有名宿も国際バスすらもあり、アフリカ内ではダントツに旅しやすい地域ではあるが、想定していたよりも随分時間がかかってしまった。僕の歩みが遅かったせいか、アフリカが想像以上に広かったせいか、その理由は定かではないが、結果としてそれなりに時間をかけ、モロッコに始まる10カ国を見てきた。
といっても、観光の類とは結局ほとんど無縁だった。「アフリカは見所が少ない」、旅行者間ではよく言われることだし、僕自身もそれは強ち間違ってないとは思う。何も無いがあり、誰かの日常がある、そんなシンプルな場所が多いだけに、一箇所に長く留まり人を楽しむのがアフリカの歩き方だ!などと適当な持論を喚き始めてからというもの、一層歩みが遅くなったのもまた事実だ。
「どこへ行こう」、人から話を聞き、自分の心に尋ね、幾度と無く目的地を変更してきた。どこへ行こうと自分自身と向き合う時間だけは余りあるほどあったので、今後の自分の旅について、生き方について、特にマラウィで考え続けた。時間と金が足りないのは明らかだったので、中央・西アフリカをスーパー急ぎ足で駆け上がろうかとも思ったが、最終的に、南アフリカまで辿り着いたらアフリカを発つことにした。
西・中央アフリカはずっと行きたかった場所の一つで、その気持ちは旅に出、実際に行かれた方の話を聞けば聞くほど募っていた。今思えば、少なからず「西や中央に行かずに『アフリカ』旅した、なんて言えないだろ」なんていう、西・中央こそアフリカ、みたいな勝手な思い込みがあった。そのぐらい東がユルかったというのもあるが、それだけにこのルート変更の決定には心底悩まされた時期もあった。
「おれが見たかったアフリカって何なんだろう」、旅中幾度と無く自分に問いかけた。8ヶ月経った今思うのは、「アフリカ」なんていうのはただの言葉だ、という当たり前かつ何を今更といったことだ。
モロッコの果てしなく広がる砂漠も、エジプトに聳え立つピラミッドも、エチオピアの山に囲まれた教会群も、ケニアのサバンナも、ザンジバルの白いビーチと青い海も、マラウィの湖に浮かぶ島も、ザンビアのザンベジ川も、ナミビアの大都会も、南アのお洒落なカフェも、全て「アフリカ」だ。それはただの言葉で、大陸の名前で、それだけなのだ。
「アフリカ」の響きに魅せられたなどと大口を叩き日本を飛び出してみたが、なんのことはない、そこには一つ一つの国があり、一つ一つの生活があるだけだった。それに気づいた時、西・中央に行かなければならない、なんていう最早狂気染みた謎のプライドは消えていった。実際、出国前から「満足したら日本に帰ろう」と、そう決めていた。たったの8ヶ月で大きなキッカケを掴むことができたことには自分自身でも驚いているくらいで、アフリカを発つ、という選択も予想外に腑に落ちた。
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この旅の途中で感じたこと、学んだこと、そこに焦点を当て、旅行記としてこのブログで綴ってきた(つもり)ので、それらを改めて書き出す、などという野暮はしないが、この旅の中で得たものとして、自分にとって大きかった発見が2つあるので、それを文字に起こしてみたい。
① 医×世界
旅中に色んな職の方にお会いした。どの人も自分のプロフェッションを持っていて、何もない自分にはそれがすごく羨ましかった。学生という立場は嫌いじゃないし、有効に活用すれば中々に便利なもんだと思っているが、何もプロフェッショナルのない自分のカッコワルさを感じることが多々あった。
けれど、「医学部に入ってよかった」と、何度も何度も、そう強く思った。医者になりたいから入った学部であるから何を今更といった話であるわけだが、思えば去年の自分にその覚悟・やる気はなかったし、むしろ「もしかしたら医者じゃなかったんじゃないかおれがやりたいことは」なんて後悔することも多々あった。
医師としての道、これが自分の生きる道で、自分の選択は間違いじゃなかった。そう心から思えたし、もしこれが勝手な思い込みだとしても、これほど素敵な勘違いはないだろう。休学を考え始めた頃から、結局はこの結論に落ち着くことを望んでいたのかもしれないが、この気持ちは本物だ。
他学部より将来の幅が限定された学科ではあるが、それが真にやりたい事であれば、そのための最短の道を用意してくれているなんて、これほど良い学科はないだろう。あとはその敷かれたレールを、時々踏み外したりしながら、+αの成長を楽しみながら、しっかり歩めば良いのだ。
1年次の講義で半ば禿げかけた教授が「大事なのはプロフェッショナリズムだ!」と声を大に連呼していた。当時はそれを聞いても「医系の授業も始まってないのにプロフェッショナルもクソもねえだろ」などと何も感じなかったが、この気持ちの芽生えはプロフェッショナリズムとやらのそれなのかもしれない。
海外で働く覚悟ができたのも貴重な経験だった。単純に選択肢が広がった。この8ヶ月ですら言ってるコトと行ってるトコが違うくらいだ。医系授業が始まろうとしている残り5年の学生生活、それを経れば考え方が変わる可能性は多いにあるし、むしろ断言できることなど何もない。もしかすると国内僻地での地域医療へ進むかもしれないし、あるいは研究職に行く可能性だって0じゃない。ただ、『医師』としてどんな道を選んだとしても、『世界』ってのは自分に欠かせない、一番ワクワクする生き方の核だと気づいた。
国境無き医師団のミッションに時折参加するのか、海外永住を決めるのか、はたまた別の形での関わりになるのか…。神のみぞ知る、ではあるが、何らかの形で国内を含めた世界と関わって生く。『医×世界』、そんな一本の軸が自分にできた。答えは最初から自分の中にあった。この気づきは得がたい。もう自分の外に何かを探す必要はない。枯れないモチベーションを自分の中に見つけたのだから。
僕は今、医者になりたい。
② 放浪終了
目的ある旅が目的のないそれに比べて高尚であるとは思わない。目的を探すという目的や、目的がないこと自体が目的の旅もあるだろう。旅などというのも所詮ただの言葉で、自分が旅といえばそれは旅なのだ。今回の僕の旅の目的の1つは「さすらい」だった。当ても無く、嗅覚を頼りに、風に運ばれてフラフラしたい、そんな生活を長期間送りたいと思っていた。
けれど、自分にはもう当ての無いさすらいは必要ない。もうそれは十分に味わった、もっと深く、もっとオモシロく、そんな自分の旅を作るに放浪は物足りない気がしている。西・中央アフリカ、ずっと楽しみにしていたその地を時間もかけず放浪で終えるのは勿体無いと思ったし、何より、自分のプロフェッションを生かして旅をする方が自分の性に合いそうだ。
結局休学前に言われた「医者として技術を身につけてから世界に出ればいいじゃないか」という言葉が、自分自身悩み続けた挙句結局そこに辿り着いたのだから、一番正しかったのかもしれない。が、その「医者」になる前に今回のような旅ができて、本当に紡いだ学びは大きかった。
願わくば、もう1年休学したいと考えている。今度は一通り知識としての医学勉強が終わった4年次後に、だ。そこが学生時代次の「区切れ目」なので、中間テストのようなイメージで、その時の自分にできることとできないこと、足りないものと必要ないものを見極めに行きたい。その時に残りのアフリカ諸国を医療に携わりながら巡れたらな、と思うが、まあこれも神のみぞ知るだ。
◆
アフリカの旅は終わった。思い返せば本当に色々なことがあった。良い思い出、悪い思い出、感動と後悔、出会いと別れ、すべてひっくるめて僕の旅だ。何度も怒り、笑い、泣き、そしてまた笑い、そんな一回きりの連続。
旅の終わりはどんな気持ちになるのか、と、旅の始まりから時折考えることがあったが、不思議と想像していたような後悔や旅を続けたい気持ちはない。むしろ日本に帰ることが楽しみな位である。日本で、大学生のうちに、やりたいことがたくさんある。
帰ることは終わることじゃなく、次へのスタートに立つことなのだろう。人生を旅に例えるのは少しこそばゆい感じがするが、僕はまだ「旅の途中」なのだ。
ずっと読んでました!
返信削除適当なブログ書いてるぼくと違って一記事ずついいこと書くなあかっこいいなあと思ってました。
この記事もすごい好きです。
もう日本なのかもしれないですが最後までお気をつけて!
栗林さん
削除有り難うございます、そう言って頂けると書いてきた甲斐があるというものです。
お返事かなり遅くなりましたが、先日おかげさまで無事日本に戻ってきました。
今後も日常の出来事や短期での旅の様子、書き切ってない旅中の小ネタなんかを綴っていく所存ですので、よかったら読んであげてください。