「ゾンバへ行くのならゾンバ中央病院でインターンしてくるといい。当時の同僚がまだいるから、『ドクタースギの生徒だ』と言えば大丈夫。」
杉下先生からゾンバの話を聞いた日、先生が協力隊員として働かれていた「ゾンバセントラルホスピタル」の訪問を薦められた。医学生として、ゆくゆくは医者になるはずの身として、アフリカの田舎病院で時間を過ごせるのはダラダラ観光を続けるよりも随分と魅力的なプランだった。二つ返事で病院訪問を決めた。
ゾンバ中央病院は、中心街から徒歩30分ほど離れたメイン道路沿いに建っている。想像よりも大きく立派な一階建ての病院で、祝日明けも手伝ってか、朝8時なのに患者がいたるところで列を成していた。
こんな忙しい中申し訳ないなあ、などと思いながら病院長のオフィスの戸を叩く。
「自分は日本の医学生でアフリカの医療とその現実に興味を持っている、アフリカに帰ってきて働くことも考えている、よければ何か手伝わせてもらえないだろうか」
そう頼み込むと、1時間ほど待たされた後、病院長に質問された。
「君は何年生かね?」
「一般教養を終えたところ?そうしたら何もできないねえ」
何もできないことは行く前から分かっていた。せめて医療の知識を身につけてから休学する、そんな選択肢を蹴って1年次終了時の休学を選んだのは他ならぬ僕自身だ。それでも出来ることがあると信じていたし、その選択自体は間違っていない確信がある。けれど事実として、現場において、何も持たない僕は想像以上に、圧倒的に、無力だった。何もできないことは分かっていた。それが無性に悔しかった。
今年1年は「験」と「見」に徹する、そんなことを高々と口にしてきた。実際にここまでの旅路で学んだことは数え切れない。だが、「医学生」としての自分の旅に関しては、ケニアで様々な人にお会いして以来、「行動」が伴わない「験」と「見」にこれ以上の意味は無いのではないか、と限界を感じ始めていた。探していたのはこれだったのかもしれない、そう思えるほどのキッカケは既にケニアで経験していた。
結局院内の見学と外人医師の方々と少しだけ会話し、ゾンバ中央病院を後にした。帰り際、杉下先生を知っているという看護士のオバちゃんたちが「ドクタースギは今どこにいるんだい?何してるんだい?もう5年以上会ってないよ!」と目を輝かせて聞いてきた。人徳だなあ、と思った。どこで、何をしようと、僕もそんな「人間」であれたらいいな、と思う。
医学生としての旅の限界、チズムルで考え続けた自分の旅。欲しかったものはもう手に入った気がしていた。それは良い意味での限界で、同時に旅の終わりを告げるものだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿