2013年5月27日月曜日

Cycling Africa 〜DAY 10〜






翌朝、大げさではなく、寒さで目を覚ました。隣のテントを見ると、ミハラもどうやら同じであるようだった。すっかり習慣と化した荷物の取り付け作業はもう随分と手慣れたもので、ダラダラやってもあっさり片付いてしまう。ぼんやり眺めた空は、滲んだ水彩画のように淡い青だった。

大型スーパー開店を待ち、交代で荷物番をしながら必要品を買い出したのだが、このスーパーがとにかくデカい。目眩がする程に棚一面に並べられた缶詰を見ていると自然に高揚してくる。缶詰と水、そしてドライフルーツの類を3日分買い込み、気分だけは颯爽と自転車に飛び乗った。


密集する住宅地を抜けると、小さな丘が上下するのどかな風景が広がっていた。これまでの無味乾燥な大地から一転して、生命力に溢れた草木が唐突に増えた。薄雲が微風になびいて、広がる緑の大地に影を落としている。影は羊のような歩みで大地に模様を描いていた。

心地よいそよ風を頬に感じながら眺めるそんな風景は、ひたすらに穏やかで、iPodから流れる音楽は自然と明るい曲になり、僕もミハラも夢心地でペダルを踏み続けた。

アメリカの着色材バリバリな菓子のような色の真っ赤なバッタ、自分の殻に頑なに引き蘢る可愛らしい陸亀、群れて草を食み続ける羊たち、岩壁を器用に駆ける忍者のようなモルモット的生物緑が増え始めた途端、道端では様々な生き物たちが顔を見せた。そんな発見は稀にダチョウを見つける程度だったナミビア縦断中に比べると随分に新鮮で、純粋に楽しい。車に乗っていては気づけない確かな営みが、小さくも力強く生きていた。


南アフリカの地を一日中走るのはこの日が初であったが、ナミビアとの違いをいくつも見つけた。

まず水が減らない。日中暑くない訳ではないのだが、ナミビアで経験した喉の渇きは感じず、10km漕ぐのに500ml程度しか要さなかった。また、南アフリカの地はとかく山がちだった。だが登りの後には必ず同等の下りがあり、精神的に安心できるため極めて健全だ。もちろん進めば進むだけヘナチョコな僕の肉体は軋むが、不思議と心は軽やかだった。

「ああ、おれ今チャリダーしてる」、1週間以上毎日ペダルを踏み続け、やっとそう感じられる日が来たことは、実に喜ばしい喝采モノだ。

山を一つ越え二つ越え、時折思い出したように自転車を降りて煙草をふかしながら空を眺め、そしてまた山を登って下って気づけば次の町の一歩手前であった。今日一番の意地悪く蛇行する上り坂を淡々と漕ぎ進め、ようやく下りの起点・登りの終点に辿り着く。この瞬間の開放感は筆舌に尽くし難い。「高ければ高い壁の方が、登った時気持ち良い」は世の中に氾濫する真理「っぽい」数々のモノの中で、間違いなく「真」と言える。


本日のゴールには予想外に早く到着できた。山間にひっそりと佇む、穏やかで「人里離れた」という言葉がピッタリなその町は、こじんまりとした教会を中心に控え目に広がっていた。

例によってとりあえずコーラを数本飲み干すと、喉奥ではじける炭酸がなんとも心地よい。食事処は残念ながら無いらしかったが、coffee shopと小洒落た看板が掲げられた店で何か食べるものはないか尋ねると、ミートパイを用意してくれた。

「今日は実に良い疲れ方である」などと口々にしながらもう一本コーラを開けた後、そこの店のオーナーの勧めで、町外れにある公園で一夜を明かすことにした。


夜の始まりを告げる空には、重そうな雨雲が何処からとも無く流れてきた。公園は集団墓地に隣接しており、背丈程もある白色蛍光灯の十字架が立っている。強い風が吹き始め、草木が揺れる音だけが響き渡った。高地であるためか、昨晩よりも肌寒い。総合的に、在り来たりなホラー映画のような不気味な雰囲気が公園中に漂っていた。

「なんかホラーっぽいな」「今の台詞、映画だったらフラグだぜ」と笑い合う我々の声のトーンも若干低い。1人であったらもしかするともしかしたかもしれない。相棒がいるという心強さを改めて感じつつ、早々に床に着いたのだった。



(動画はこちらから)

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