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夜半雨が降りそうで降らない嫌な硬直状態が続いていたが、朝になれば嘘のように空は晴れ渡っていた。
昨晩、ミートパイに舌鼓を打ちながら、今後の行程について何時になく真剣に話し合った。刻限は迫っており、予定通りに歩を進めないとフライトを逃しかねない。それだけは避けたい我々は、次の町Galliesから大幅にスキップすることを決心した。南アフリカが想像以上に走り易いことを実感した矢先だっただけに多少の後悔はあるが、これも致し方あるまい。
走り出す前に気付けに缶コーラを1本飲み干した。前方に伸びるN7は小高い山へと続いている。初っ端からなかなかに険しい坂道だ。入念にストレッチをすると、ここ最近の成果か、随分と体が柔らかくなったことに気がついた。些細なことだが、妙に嬉しい。
坂道は案の定キツかった。蛇行せずに真っすぐ進んでくれれば短縮できるところをクネクネクネクネと曲がりに曲がる。イヤラシいことこの上ない。立ち漕ぎをしてみたり、随分操作にも手慣れてきたギアを頻繁にいじってみたりと工夫をしてみるが、勾配が緩くなるわけでもなく、辛いことには変わりない。結局最後の数百メートルは手で押して歩いた。
Galliesまでの道のりは険しかった。前日以上に続く丘と山の数々。水の心配がいらないのは幾分か有り難いが、それでも辛いものは辛い。間抜けな面で暢気に草を食む羊を妬ましく思い、飛翔する鳥の群れに悪態づいた。全体的に登りの方が多く、徐々に休憩の回数が増えていく事実を無視しながらマイペースを保ち続ける努力をするが、そんなことを考えている時点で既にマイペースではない。
Galliesの6km手前からなかなかの坂道が始まった。『ここから先 6km下り』という看板が立てられてるあたり、南アは粋である。高まるテンションと逸る心を押さえつつ、iPodの坂道専用プレイリストを再生する。nano.ripeの『面影ワープ』のギターイントロが流れ始めた。「よっしゃッ」そう独語し、ペダルを思いっきり踏み切った。
1秒、2秒、3秒…車輪は加速し続け、10秒もしないうちに自転車は最高スピードに達した。45km/時と、徐行運転する車よりよっぽど早く風を切る。山道の崖側を走っているため、若干怖くなってブレーキに手を伸ばしかけたが、止めた。今は止まる必要などないのだ。iPodからはサザンの『希望の轍』が流れていた。
Galliesは坂道が終わってすぐの麓にあった。ミハラがガードレールに自転車を立てかけ黄昏れていた。「坂道良かったわ」と率直な感想を告げると「オウ」と彼らしい答えが返ってきた。
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昼時ということもあり、とりあえず食事をとることにした。一番最初に目に入ったレストランに入ると、オーナーの趣味なのだろう、全面に「猫」を押し出した商品が並び、ぶくぶくと太った首のない猫が気持ちよ下げに怠惰な昼下がりを満喫していた。
実は無類の猫好きである我が相棒はそんなデブちゃんを膝に乗せ、些かふくよか過ぎる腹をつっついていた。微笑ましい日常の一ページであるはずが、我々の汚さがより一層強調されるだけであった。
ハンバーガーにフライドポテトという、有り触れた欧米化の象徴たるファーストフードを腹に納め、しばし放心する。飯を食い、時間をもて遊ぶ、それすらが掛け替えの無い贅沢に思われた。
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3時頃、町から1kmほど離れた場所で最後のヒッチハイクを試みた。つい先日の消極的姿勢ですら成功を勝ち得た我々である。積極性を以て本気を出せば容易く結果が頭を下げてくるだろう、こんなのオチャノコサイサイだ、などと豪語していられたのも最初の1時間までで、2時間も経つ頃には親指が悲しく宙を切っていた。
「こんなはずでは無かった…」と失敗者の常套句を口々に、目の前に何故か停まったinter capeバスに威勢良く中指を立てた。トラックがやってくる度に毅然と立ち上がり両手を大きく降るが、ドライバーは欧米人の得意な「困ったねえ」のジェスチャーをし景気良くクラクションを鳴らすだけで、砂埃をまき散らし通り過ぎていった。
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3時間が経ち、気づけば傾いている太陽が我々に爛々と西日を注いでいる。「このままニッチもサッチもいかず夜が来たらトンでもないことになるぞ、町に戻って毎日ヒッチハイクだ」と随分悲観的になってくる。
そんな時である。一台の大型トラックが10m程通り越した所で停まってくれた。
「Citrasdalまで乗せてくれないか?」そう頼むと、気の良い運転手のオッサンは快諾してくれた。数十kgの自転車を荷台に積みロープで固定する作業も全てやってくれ、またもや訪れた予定調和に幾許かの感動を覚えながら、トラックは夜の濃くなる一本道を南へと走り続けた。
10:00pm。後部座席にて窓に寄りかかって寝ていると、運転手が僕を起こす声がする。「着いたぞ、Citrasdalだ」そう言って降ろしてもらったのはガソリンスタンドだった。
野宿場所探しの手間を省けたことを喜びながら感謝を告げチップを渡す。「気をつけてな」そう言い残してトラックは闇の中へと消えて行った。
ガソリンスタンドの隅で一泊する許可を責任者から貰い、軽い夕食を腹に納め眠り支度を済ませる。我ながら、もう随分と手慣れたルーティンだ。
南アフリカのコンクリートは今晩も冷たい。それもあともう少しだと思うと、なんだか恋しくなる冷たさだった。
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