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雨、雪、霰、霙...、空からは様々なものが降ってくるが、昨晩はトンでもないモノが降ってきた。
国境到着の夜のことである。ナミビア最終日を迎え、我々は気分良く雑談に耽っていた。初日からの出来事を振り返り、今となっては笑い話になった当時の焦りや怒りを肴にコーラを一杯引っ掛けた。
明朝の国境越えに備えて、ということで芝生の上の床に着いたのはまだそれほど夜も更けていない頃で、ガソリンスタンドの警備員の「心配しないで寝な!」という言葉を信じて、もふもふと眠りについたのだった。
基本的に、僕はいつもテントを張らず、地べたに布を敷きそれに包まって寝ていた。テントは持っているのだが、エジプトで購入して以来サハラ砂漠もケニアの40日生活も共に乗り超えてきたメイドインチャイナのそれ(1000円)は、僕の足腰よりも限界間近で、張るのをいっそ諦めていた。
対するミハラはケニアで購入した防水の確りとした造りの水色のテントで夜な夜な安眠を満喫していた。いや、していたはずだった…。
深夜、大きな物音とミハラの怒号に近い叫び声で唐突に目が覚めた。
何事かと驚き起き上がると、相棒の見慣れたテントの上に白人のオッサンが倒れ込み、テントが崩れ落ちている。どうやらこの不届きな輩は酔っぱらいのようで、顔を赤くし分けの分からぬ戯れ言を口走っていた。「おい、ふざけるな!」そう呼びかけても返事はない。
と、その瞬間、ミハラ渾身の平手が酔っぱらいの背中に紅い紅葉を転写した。ミハラは当時の心境をこう語る。
「おれにも良心はある。突然酔っぱらいに平手をかますようなことは普段ならしない。だがしかし、だ。人が気持ちよく寝ているところにオッサン、しかもデブが落ちてくる所を想像してみよ。これは止むに止まれない正義の鉄拳である。」
この輩は完全に泥酔し切ったいたが、平手に対する反応は笑ってしまう程に思いの外早かった。「なんだこのクソ野郎!」、背中に紅葉が舞い落ちるや否や、スッと立ち上がり我々に極めて不当な罵詈雑言を浴びせ始めた。「おれのベッドにオマエらが落ちてきやがったんだこのカス共がぁッ!」などと、トンでもない被害妄想である。
と思うと、ミハラへと詰め寄ってきて肩を突き飛ばすように攻撃を始めた。さすがのミハラもこの挑発行為には実力行使の必然を感じたようで、ファイティングポーズをとって応戦する。警備員は一体何を警備しているんだ、と、そういう話である。結局白人女性らが警察を呼んだようで、怪我などはなく事なきを得たかのように見えたが、ミハラのテントの骨は見事にひん曲がっていた。
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朝、自転車の積み荷を整え、国境へと向かって岩山に挟まれた一本道を走り始めた。人生初の自転車国境越えだけあって、僕もミハラも昨晩の阿呆な事件など無かったかのようにテンションが高い。
自転車で国と国の境目を走り抜けるなどというのは、当たり前だが日本では実現不可能だ。それだけに、自分が旅していることを強く再実感し、そのタイトルの響きが持つロマンに胸は高まる。
まずはナミビア側のイミグレーションで書類を提出しスタンプをもらった。荷物検査のような煩わしいお役所仕事もなく、出国は拍子抜けする程一瞬で終わった。
陸路国境越え経験に乏しい僕が言うと何とも説得力に欠けるが、ナミビア・南アフリカ間の国境は他国のそれとは一味違っていた。というのも、通常各国の検問間はせいぜい距離にして数10m〜100m位しか離れていないものであるのだが、ここの国境ではそんな空白地帯が1kmも続いたのだ。オレンジ・リバーなる大きな川が、乾期の真っ盛りであるにも関わらず気持ちのよい水音を立てながら流れており、そこに架かる橋を越えたすぐ先が南アフリカ側の入国審査所だった。
ナミビアでは南アフリカの硬貨(単位:ランド)が使用できた(逆は不可)ので、この隣接する二カ国の雰囲気は似ているのだろうか、などと予想していたが、検問所から既に国が変わったことを意識させられた。つまり、南ア側の建物はナミビアより数段立派だった。
指定された順に部屋を巡り審査を済ませてゆく僕とミハラ。3番目のオフィスに辿り着くなり、職員が、Rehoboth以来自転車に裸で括りつけられていた僕のギターを一瞥し、窓ガラスの向こう側から「こっちにちょっと来い」と言う。
言われるがままに若干緊張しつつギター片手に中へ入ると、一曲弾いてみろとニヤリと笑みを浮かべながら要求してきた。アパルトヘイトに始まる人種差別の悲しい歴史を持つアフリカの大国、そんな先入観を持っていただけに、このノリの良いオヤジは僕に「なんだこの国オモシロそうじゃないか」的予感を孕ませた。おそらく、あの窓口の中で『終わりなき旅』を熱唱したのは人類で僕だけだろう。これから南アを出国しようと反対側の窓口で手続きをする老夫婦が、そんな滑稽な光景を微笑みながら眺めているその様は、平和そのものだった。
ともあれ、無事出入国できたことに安堵し、初の国境越えが想像以上にすんなりと終了したことに逆に若干躊躇いながらも、僕らは遂に南アフリカ共和国に突入した。建物や警備員の身なりがナミビアより洗練されたとは言えど、ギターを発見する度に誰も彼もが一曲要求するあたりが実にアフリカ的で、なんだか安心している自分がいた。
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ナミビアの味気ない緑の道路標識と違い、南アフリカのそれは多少デザインに手が込んでいる。ナミビアからB1として続いてきたこの道は南アではN7と名前を変えたようで、一番最初に目に入った看板には『CAPETOWN N7 678km』と記されていた。これまで最終目的地であるその名前を目にすることは絶えて無かったこともあり、テンションは嫌でも上がるというものだ。
既に述べたように、僕らの行程は若干、いや大分遅れていた。昨日の大幅なワープが成功したからといって、未だに「最悪」と想定していた状況下なのだ。国境付近ならケープタウンへ向かうトラックが屯しているはず、と直ぐさまヒッチハイクを行うつもりでいたが、車が停まってくれそうな場所を探すうちになんだか楽しくなってきてしまった我々は、気づけばペダルを漕いでいた。
これが大きな間違いであった。
暫くの間はこれまでと違う岩山に囲まれた風景の中を走るのは、実に楽しかった。だが、この山を這うように蛇行する緩やかな上り坂が、曲がり角を越えても越えても続くことに、開始30分で既に苛立ち始めていた。ヒーヒー喘ぎながらようやく迎えた坂道の先の風景は、無限に平らな砂漠という実に見慣れたものだった。
ここまで読んでくれた読者諸兄は既にご存知の通り、僕らは毎日毎日飽きもせず「向かい風」というこの憎き自然現象に腹を立ててきた。だが、断言する。今までの風など、所詮は微風のようなものだったのだ…。
異変を感じ始めたのは、平坦な砂漠を走り始めて1時間、最初の休憩所を見つける数キロ手前でのことだった。若干の登りではあるものの、妙に自転車が加速しない。故障を疑ったが、飛ばされているゴミ屑を見て気がついた。風が強くなっているのだ、と。
休憩所に到着してからは格段に風が強くなり始め、後走していたミハラが到着する頃には、平地で全力で漕いでも時速6kmしか出ない、というもう何が何だか分からないレベルにまで状況は悪化していた。暫く休憩して様子を見よう、と横になり体を休めるも、更に風は酷くなる。太陽はさほど傾いていないにも関わらず、やけに肌寒い。唯一の防寒着であるキリマンジャロに共に登頂したツナギを着て暖をとった。
この尋常じゃない強風、いや、もはや台風といってもさし支えない風力の自然現象が、今日限りのスペシャルイベントなのかはたまた日常的に続く恒常的悪夢なのか、願わくばせめて前者であって欲しいと、そう切に祈りを捧げるも、我々の「なむなむ」は力及ばず風は一向にその手を休めない。
「もうやめりゃあいいんですよこんなの、意味ないっすよ、風に吹かれてるだけじゃないっすか」
ミハラも僕も大分不機嫌が募り、先行きの見えない残りの限られた日々でのミッション成功に陰りを感じ始めていた。そんな時だった。突如一台の軽トラックが我々の目の前に停まったのだ。
「オマエら困ってるんだろ?!乗りな!!とりあえず一緒に写真撮ろうぜ!」
助手席から降りてきた背の低い愛嬌溢れる黒人のオジサンが、ツチノコでも見つけたかのようなハイテンションで声をかけてきた。これは全くの予想外である。ヒッチハイクする気も無かったし、ましてやしているつもりなど皆無であった。
訳が分からないがとにかく助かった!と、やっとこの八方塞がりから脱出できることを喜びながら、自転車を荷台に積み込みその脇に腰掛けた。絵に描いたような『消極的ヒッチハイク』である。
荷台からの景色は実に爽快だった。勢いよく後ろへ流れていく砂漠の風景を眺めながら、super carの「DRIVE」を聞いた。「またしても予定調和だ」などと呟きながら見上げた悠久の空は、先日のトラック助手席で見た空より広かった。
目的地だったspringbookに到着した頃には辺は既に暗くなっていたが、山の麓に張り付くように町が視界に入ってきた時は軽い衝撃を受けた。建物は味気ないほどに整然と並び、モダンアートのような家屋まで建っている。さながらヨーロッパの田舎にやってきたかのようだった。南アフリカの片田舎は、ナミビアの主要都市レベルに「先進国的」であった。昨日まで自分は猿か何かだったんじゃないかと疑い始めるほどに、僕らの目に文明は眩しく写った。
白人店員と黒人店員が共に忙しく動き回るファーストフード店で、山盛りのフライドポテトを注文した。別段に富裕層向け、といった趣の店舗ではないにも関わらず、他客の身なりの品良さが目につく。かく言う我々はアウストラロピテクスのような容貌で、つまりは場違いな程に薄汚い。文明というのは時として非情なものであると知った。
店の前を走る道路が成している三角州のような空白地帯には小さな公園があり、そこには巨大スクリーンが設置されサッカーの試合が放送されていた。誰もいない公園で爛々と光と音を放ち続けるその巨大装置に半ば呆気にとられるも、こうしてはいられないと今晩の寝床を探した。
見る者を威嚇するような鉄格子で囲われた警察署はなんだか尋ねにくい。かといって南ア初日にして路傍で野宿して万事問題ないと楽観できる程我々の肝は太くない。結局、自転車で町中を走り回るうちに見つけた大手ガソリンスタンド「シェル」を訪れた。ミハラがシェルで出国前にバイトをしていたので、最悪断られたらシェルの共通仲間意識に訴えかけようなどと画していたが、責任者のオッサンは存外に快く許可をくれた。
今は11月であるとは言え、ここは南半球である。季節はもちろん夏だ。アフリカの夏と言えば大地が乾涸びるような燦々たる日差しを想像しがちだろうし、実際ナミビアではその通りかそれ以上だった訳だが、南アフリカ初日の夜はなかなかに寒かった。可能な限りの厚着に身を包んでも、足下からじわりと冷気が忍んでくる。この日ばかりは僕もやむを得ずテントを張ることにした。
ゴミ捨て場のようなガソリンスタンド脇のスペースで、熱い紅茶をゆっくり飲み干した。そうして、明日から再び始まる過酷な旅路に、この二日間で若干緩んでいた腹を括り直したのだった。
(動画はコチラから)
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