2013年5月30日木曜日

Cycling Africa 〜DAY 12〜






靴下の隙間から忍び入る冷気で目を覚ました。車の音程度では睡眠を妨害されないようになっていたが、寒さにはまだ耐性がない我々だった。

大きく伸びをして煙草を一本くわえる。朝の冷たい空気と一緒に煙を吸い込み、大きく長く吐き出したところで、ガソリンスタンドの出口にある看板が目に入った。

CapeTownまで残り200km

昨晩は闇に紛れて気づかなかったのだろう、コカコーラ社の赤い標識だった。200km。一日に70km前後走ると仮定しても、3日もあれば辿り着ける距離だ。もちろん何のアクシデントもない場合に限る訳だが、それでも200という数字は希望に満ち溢れていた。何と言っても数字の歯切れが良い。

「これは幸先グッドだ」、そう独語しながら朝からコーラを買って飲み干した。ペダルを踏み込む足にも自然と力が入った。


出発して早々、目の前に現れたのは今までのどの山より山々しい山であった。昨日の運転手のオッサンから「Citrasdalからすぐの所に7kmの上り坂がある」と話には聞いていたが、7じゃなくてせいぜい3くらいだろなどと必死に否定し続けていた現実に見事に否定されてしまった。

山に山が連なり山ばかり。峰に沿って迂回を繰り返す憎たらしい上り坂が永遠と続く。勾配こそ急な訳ではないが、何せ7kmもこれが続くのだ。折れかけた心はだらし無くブラブラと揺れ動き、もういっそ自分で折ってしまおうかなどと考えるも、鼻糞程のプライドがそれをしつこく拒む。

路傍の休憩所だけは頻繁に設けられているが、一度腰を降ろせば最後、根が張ってそのまま山の一部になってしまいそうで、自転車を手で押してでも進み続けた。重力の存在を憎み、嗚呼いっそ月にでも生まれたかったなどと脈絡のない妄想が繰り返される。だが道は終わらない。

次の角を曲がれば!、そう信じる度にバッサリと裏切られ、嗚呼、神も仏もいないのか!と道端でこちらを見やる猿共に怒りをぶつけた。ふと後ろを振り返ると、30m程下方、4度ばかりの迂回を隔てた所に、米粒のような影がゆっくりと動いていた。カメラ越しに覗けばやはり米粒は相棒ミハラで、とりあえず「ヤッホー!」と叫んでおいた。


ようやく辿り着いた山上には高級そうなホテルが聳えており、そこから更に1km程進んむと小さな個人経営のカフェが慎ましく建っていた。各種パイの他にも自家製クッキーやら自家製ジャムやらを可愛らしい瓶にいれて販売しており、アフリカにいるのを忘れるようなふわふわした雰囲気が印象的だった。

オレンジマーマレードジャムに僕の食指が動かされた事実は認めざるを得ないが、必死で財布を取り出そうとする右手を止めた僕の理知的な左手を褒めてほしい。


登りがあれば下りがある。こんなに当たり前で嬉しいことは他にない。山上からチャリ旅最長である8km以上も続く坂道からの景色は、絶景そのものだった。黄金色の牧草地帯が果てなく広がり海のような様相を呈している。

空の透き通った青との対比がまた美しく、地平線を縁取る岩山が風景に味のある立体感を加えている。僕の人生暫定一位の坂道だ。

楽しい時はあっという間に過ぎてゆく、と言うが、8kmの下り坂はこのまま地底にまで続いてぴょこんっと地球の反対側に飛び出してしまうんじゃないか、と訳の分からぬ空想をさせる程に長かった。

時速50kmなんていう最早自転車とは思えぬスピードで切りぬける風は、最高に気持ちが良い。

ようやく辿り着いた地上の風景も、なかなかのものだった。干草は円筒形に巻かれ、誰かの落とし物のように点々としている。さながら北海道のような牧歌的な景色は、何処までも何処までも広がっていた。

爽やかな夏風に吹かれた金色の牧草たちはその頭をひしゃげ、風の通り道を可視化する。刻一刻と変わり続ける風紋を横目に走るこの時間は、実に穏やかで優しく、そして何処か懐かしさを感じさせるものだった。


ただ一つ、この尊い心安らぐ一時を妨害する忌わしい虫がいた。

おそらく住処である干草が刈られたことで出てきたのだろう彼らは、黒い蟻のような羽虫だった。ひたすらに群れる習性があるようで、路傍の宙で我々を今か今かと待ち受けているのだ。

遠目には全く気づかないため、彼らのコミュニティに突っ込んでしまうと、Tシャツが黒く染まる程ビッシリと彼らに張り付かれる羽目に合う。必要以上の硬度を持ち、息を吹きかける程度じゃ吹き飛ばせないからたちが悪い。

実害は欠片もないのだが、妙に人をイライラさせる技術に長けた種であった。僕は彼らに敬意を込めて『南アクソ虫』という俗名をつけ与えた。


南アクソ虫を片手で払いのけることに集中していると、気づけば町の手前まで来ていた。まだ昼にもなっていない。我ながら実に良いペースである。

朝から先行していた僕は「町に入って最初に目に入ったガソリンスタンドで待機」という我々のルールに則って、炭酸飲料片手に日陰で涼んでいた。服のそこらかしこにこびり付いている南アクソ虫を捻り潰し、適度な疲労感に満足感を覚えていると、僕と同じかそれ以上に貧相な身なりをしたオッサンが弁当を携えやってきた。

「ここ座って良いかい?」などと尋ねるや否や僕の隣に腰を降ろしたその彼は、南アフリカ北部の出身でケープタウンに向かう途中らしい。24時間近い運転を終えたところだそうで、「お互い大変だな」と雑な意気投合をし杯を重ねた。

ついさっきミハラを車から見かけたそうで、もう着くんじゃないかと話していると、測ったかのようなタイミングで坂道を登ってきた男がいた。彼もまた、実に貧相な身なりであった。


Piketburg」、この町もまた山の麓にあり、ガソリンスタンド脇には洒落たレストランとワイン店が並んでいた。到着が随分早かったことに祝杯を上げよう、とそのレストランでリッチに食事をとることにした。

入り口のドアに『銃禁止』のマークが付いているあたりが何とも異国感溢れる、と同時に身が引き締まる。トイレに行けば無料配布のコンドームが山のように置かれ、この国の闇と性事情の一端を垣間みた気がした。食事は最高に贅沢な代物で、明らかに今までの「栄養補給」のような摂取とは一線を画していた。

満足気に煙草をふかしていると、ふと一匹の小汚い蠅がビールグラスに入り込んだ。僅かばかりに残った泡とも液ともつかぬビールのプールで泳ぐソイツを見ていると、なんだか無性に腹が立ってくる。

「オマエらバグ(虫)のせいで俺らがどんな思いをしたか知ってるのか?」
「楽に死ねると思うなよ
「仲間に伝えときな、もうおれらには関わるな、ってな」

そんな悪染みた台詞を真顔で唱えながらこの人様のビールに飛び込んできた不届きな輩を虐めた。

やはり疲れているのかもしれない。


ナミビア同様、この国でも店は17:00には閉まり始めるようで、やっとインターネットカフェを見つけたのは丁度閉店の時間だった。おそらく道中ペットショップを覗いたタイムロスのせいだが、まあ仕方あるまい。

この町には個展のアートギャラリーやアンティーク家具店、終いには小洒落た街路樹まであり、雰囲気がどことなく洗練されているのを感じた。この少しずつの変化も、自転車で無ければ気づかなかっただろう。そう思うと自問自答の毎日も少し報われる気がした。

夜は早朝出発することを条件に、ガソリンスタンド脇で寝させてもらった。レストランの従業員と仲良くなり、お互いの国のことを教え合ったりしていると、強烈に自分が「日本人」であることを実感させられる。それを望む望まないに関係なく、だ。

そんな一時は僕にとって、旅する理由の一つ足り得るのかもしれない。比較対象として用いることで改めて発見できる「自分」というのは確かに存在するのだ。彼らは気さくなイイ人達で、電池がなくなりかけていた僕の電子機器類の充電を快く受け入れてくれた。


残り2日。当初は永遠に続くかのように思われた一本道は、気がつけば振り返り眺める道のりの方が長く伸び、記録した日数の方が多くなっていた。

26インチの頼りないタイヤを一回転させ、その積み重ねで荒野を、砂漠を、山を、いくつもの町を越えてきた。単なる地図でしか無かったロードマップは数々の思い出に染まり、露出した肌は着実にアフリカ色に近づいていた。

「あと2日だな

僕とミハラは、各々の思いを込めながらそう呟き、テントに入った。



(動画はコチラから)

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