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早朝、警備員のオジイさんにテントを揺さぶられて目を覚ました。客がそろそろ来るから出て行け、とのこと。頑なに引き籠るミハラに一声かけてから、朝の澄んだ空気の中を走り始めた。
時間的に幾分か余裕が出てきたこともあり、この日はじっくりと風景を眺めながらペダルを漕ぎ続けた。
淡い色に滲んだ戸惑いなく晴れる空には、薄雲が千切れながら漂っている。干草が刈り取られた牧草地が一面に広がる丘を越えると、右手に見える整然としたワイン畑が朝日を受けて眩しい。
流石ワインの有名産地なだけあって、南へ下れば下る程その種類は増え、その値段は下がっていた。ワイン農場には巨大な風車が建っていて、おそらく地下水を汲み上げているのだろうそれらは、南風を受けてゆっくりと回り続けていた。
LUNKHEADの「きらりいろ」を聞きながら視界を流れて行くそんな数々の風景は平和そのもので、車通りが少なくなると自分が時間の止まった世界を独り走り続けているかのような錯覚を覚える。
『今日の空の綺麗さを誰なら描けるのだろう ゴッホかピカソかムンクか分からないけど』
気づけば歌詞を口ずさんでいた。
30km程離れた中間目的地に到着したのは昼前だった。国道から少し離れた生活感溢れる小さな町で、自転車に乗っていると路上で遊んでいた子供達が物珍しそうな顔をして、我れ先にと手を大きく振ってくる、そんな光景がなんとも微笑ましい。
ハンバーガーを頬張り、店の前のベンチで小一時間ばかり昼寝をしているとミハラが到着した。このあたりまで来るとケープタウンまであと○○kmという道路標識が次第に増えてきており、旅の終わりが現実味を帯びてくるのを感じていた。
午後1時、丁度休憩を終えた頃に近くの木々が割と激しく揺れていたので嫌な予感はしていたが、案の定風が強くなり始めていた。残り40kmが体感で倍ほどに感じる。思わず溜め息と共に呪いの言葉がぽろりとこぼれるが、何も障害がないとそれはそれで文句の対象で、なんともメンドウ臭い我々である。
丘をいくつも越え、両側には牧場が永遠と広がり続けた。時折牛の群れが草を食む横を通り過ぎたが、彼らが僕に気づいた瞬間一斉にこちらを向くのがなんとも愉快だ。ミハラもどうやら同じような事を思っていたようで、何度かそんな牛の群れを立ち止まってぼんやり眺める相棒を目撃した。
この日は馬も数頭見かけ、毛並みの良い白馬が駆ける横を走った。優雅な動きに嘆息しながら、小学生の時国語の教科書に載っていた「スーホの白い馬」という物語を思い出した。自転車を放り捨ててあの白馬に乗り換えたらカッコイイんじゃないだろうか等と阿呆な事を考えるも、5日近く風呂にも入っていない自分には彼の美が到底不釣り合いであることに気付き、若干物悲しくなった。おそらくミハラも同じことを思ってか、残念そうな顔をしていた。
遥かなる黄金の大地に点々と緑が増え始め、勾配の急な坂道は自転車を降りざるを得なくなった頃、最後の丘を息も絶え絶えに越えると、そこが今晩の目的地であった。
Marmesburry、ゴールであるケープタウンからおよそ60km離れたその街は、驚く程一気に都会だった。2kmにも及ぶ坂道は行儀良く並んだ住宅街で、坂の麓は様々な店が立ち並ぶ中心街になっている。高層ビルのような建築物こそないが、車の数や建物のクオリティは今までの街とは一線を画していた。
堂々と聳え立つ教会も実に立派で、街行く人々の身なりもどこか洗練されていた。こうも露骨に都会だと移動がなかなかにし辛く、また野宿スポット探しも困難である。色々探しまわったが、結局ガソリンスタンドのゴミ捨て場前で寝させてもらうことにした。
今日で連日5日目のガソリンスタンド泊である。些かの疲れが取れない感はあるものの、最終日前夜である。明日の夜はふかふかのベッドで眠りたいだけ眠れると思えば、冷たいコンクリートも逆に心地よいというものだ。
「散策してくる」
そう一言残して街の雑踏に紛れて行ったミハラは、大きく張ったビニール袋を片手に帰ってきた。
「祝杯といこうじゃあないか」
そう言って取り出した袋の中身は、ワインボトルとチーズだった。全く、最後まで小粋なことをする男である。礼の代わりに「ほどほどにな」と告げ、2人でワインを飲み回した。
ワインの素養などない僕だが、甘すぎず適度なコクのあるその赤い葡萄酒は、静かに酔い心地に至るには十分すぎる甘美な代物だった。
「残り、65km」
泣こうが笑おうが、怒ろうが喜ぼうが、風が吹こうが雨が降ろうが、あと一日なのだ。
お互いに右手の拳を突き出し「うっしゃ」などと言って気合いを入れ直した。少々クサいのは酔いが回っていたからだろう。そういうことにしておこう。
(動画はこちらから)
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