2012年10月27日土曜日

ザンジバル~ジャンビアーニでウニ祭り~


「ザンジバルのジャンビアーニでウニが捕り放題だよ」、キリマンジャロに一緒に登った世界サーファーのキョウコさん、彼女の一言が全ての始まりだった。



ザンジバルはアフリカ東海岸のインド洋上にあるザンジバル諸島の地域名。現在はタンザニアに属する。人口は約107万人(2004年)
白いさんご礁とヨーロッパやアラブの石造建築遺跡が多数残る。奴隷・象牙・香辛料貿易の拠点でもあった。(Wikiより)



初めてザンジバル島の存在を知ったキッカケは、高校のときに何気なく手に取った一冊の本だった。島岡さんという「革命家」の奥さんが記した、氏の伝記のような本で、そこに書かれたザンジバルの様子は当時受験の束縛の中にいた僕には非常に魅力的かつ開放的に感じられた。白いビーチと遠浅の水色の海、イスラムな町並みと貿易港として栄えた独自の文化。いつか必ず訪れよう、そう思っていた地の一つだった。

「キリマンジャロ登頂後はザンジバルで脳みそ溶かすほどダラける」

チームキリマンジャロに与えられた次のミッションはこれだった。が、メンバーのうち誰一人として「そこでは一体何ができるのか」ということを知る者はいなかった。というか地名すら知らなかった。

「ウニ」、この一言が僕らの食指を動かした。ウニ、それも、無料。ウニの味など100円均一の回転寿司のソレしか知らないが、そのリッチかつセレブな響きに魅せられた僕らは、満場一致でジャンビアーニ行きを決めたのだった。



キリマンジャロ翌日、モシから8時間東へと走るバスに乗り、首都・ダルエスサラームに辿り着いた。インド色が濃い街で、道端のレストランではタンドリーチキンが炭火に焼かれ得もいえぬ匂いを漂わせている。夜の闇で海は見えなかったが、風に潮の匂いが混じっている。エジプト以来、5ヶ月ぶりの海だった。

翌朝、フライングホースなるフェリーオフィスで$20のチケットを購入し、船内での軽食にサモサを買って乗り込んだ。VIP席なる2F前方の部屋は冷房が効いており、ソファーは体が沈むほどフカフカ。このフェリー、相当揺れるとの噂で、一晩中吐き続けた人もいると話を聞いていただけに、スーダンのフェリーとどっちがエグいか見物だな、なんて思っていたが、予想外の快適さに拍子抜けだった。


港街ストーンタウンに寄船し、イミグレーション(同じタンザニアだが、ザンジバル島には入国審査がある)で手続きを済ませる。小さな穴がいくつも開けられたダンボール箱にヒヨコが入れられ運ばれていて、穴から覗かせる頭が愛らしい。昔実家の庭で二羽飼っていたペットの鶏のことを思い出した。

人数も多いのでタクシーで「ジャンビアーニ」の「マライカゲストハウス」に向かうが、到着したのはジャンビアーニと島のちょうど反対側にある村だった。運転手曰く「ここはマライカゲストハウス(旧称)だ、おれは悪くない」とのこと。あれだけジャンビアーニって伝えたのに。車内から進行方向左手に夕日が見えた時点でおかしいな、とは思っただけにこちらにも非はなくな無いが、当然、軽い小競り合いになった。


カスミさんにカイロでもらった「マライカゲストハウス」の名刺、そこに書かれた宿主のハジさんなる御仁に電話をしてみたところ、なんと片道2時間の名前も知らぬこの場所まで迎えに来てくれる、とのこと。結局そのお言葉に甘えることにし、初めて目にするホワイトビーチ沿いのレストランでリッチな食事を楽しんだ。夕日が水平線に沈むのを見るのは本当に久しぶりで、紅く大きなその光の玉に、最後に見たカサブランカの夕景を重ねて眺めていた。


ジャンビアーニは噂どおり「何も無い」がある田舎村だった。翌朝、歩いて15秒の海へ赴くと、そこには白い砂浜が広がっていた。手にとってみるとそれは砂というより濡れた石灰の粉のようで、朝の日差しをこれでもかとばかりと反射している。10時ごろには潮が引き始め、浜辺から50m位までが膝下以下の浅瀬に変わった。「遠浅のホワイトビーチ」、生まれて初めて見るそれは何だか不思議な光景で、キリマンジャロの疲れも忘れ、4人で早速ウニを捕り漁った。




食用のウニは黒い棘の長いモノではなく、白い棘の短いモノで、そこらかしこで岩場の海草の下に隠れていた。獲物(ウニ)を探し出し捕獲する、というこの極めて単純な作業は冬場のミカン並みに中毒性があり、気づいたらウニを入れるビニール袋は一杯で、それと同時にメンバー全員の背中が尋常でなく赤く焼けている。早くも痛痒くなり始めた背中を憂いながら、40匹以上のウニを抱え宿へと戻った。

2時間後、食卓にはおぎのがイギリスで買ってきてくれた塩ラーメン&坦々麺、そして皿に小さく盛られた新鮮なウニが並べられた。このウニから取れる実はほんの僅かなようで、あれだけ捕って来てもこの量にしかならなかったのであった。早速炊きたての白米にウニを乗せ、一口頂く。



「・・・」

味は微妙だった。というか寧ろ美味しくない部類だった。ここのウニ達は「美味しくない」という進化を遂げることで人間から身を守ってるのではないか、などと一瞬疑うレベルである。ウニの味など分からない僕だが、その場の全員が同じリアクションをしたので、まあまず間違いない判断だろう。「ジャンビアーニで一生分ウニを食う」、そんな大志はものの数分で崩れ去り、それ以降僕らはウニを捕ることはなかった。







ここジャンビアーニでは少し考えさせられた事がある。

初回にして最終回を迎えた僕らのウニ祭り2012の夕方のこと、夕焼けに染まる浜辺の写真でも撮りに行こうかと一眼レフを首から提げ歩いていると、何やら見慣れた物が浜辺に落ちていた。それは「坦々麺」と書かれたオレンジ色の袋だった。「おれら以外にも坦々麺食ってるやつがいるんだなー」なんて思っていると、宿の従業員がゴミ箱を持って浜に向かって歩いてきた。すると彼は突然ゴミ箱を逆さにし、宿のゴミの一切を近所の浜辺に投げ捨てたのだった。坦々麺の袋は、僕らが昼食に食べたものだった。


環境問題を憂うつもりはない。というよりも僕個人にはその資格はない。「郷に入れば郷に従え」なんて言葉を都合よ~く解釈しポイ捨てもするし、日本にいれば夏場は冷房三昧、冬場は暖房三昧の日々を送っている。ゴミの分別もメンドクサいときは適当にまとめて捨ててるし、将来は木材をふんだんに使ったログハウスに住みたいなウフフなんて思っている、所詮その程度の人間である、僕は。環境がなんちゃらと言われたところで表向きは興味を示しても、根の部分で当事者になれていないのだろう。

だが、そんな僕ではあるが、何だかその光景はショックだった。彼らがそういう風にゴミを扱うことを咎めることはできない。元々彼らの生活に無かった「それら」を持ち込んだのは僕らであって、現に第三世界と呼ばれる国々の多くではゴミの扱いなど気にも止められていない。

ジャンビアーニの人口が増え、観光客が増え、そうすればもっとゴミは増えていくだろう。それこそ自慢の白い海を覆い尽くすほどに。その責任の一端は自分にもあるんだ、と、そのことを自覚しなければならないのかもしれない。

1 件のコメント:

  1. ちゃりだー(おんなのこ)2012年10月28日 22:22

    おつかれ~元気してる??
    こちらは昨日、JJに着いて、自炊生活を満喫しています!

    キリマンジャロにザンジバル、タンザニアを満喫したようだね~

    で、今はルサカ??

    旅人からザンビーフ(牛肉のメーカーらしい)が美味しい!!!って聞いたことがあります。
    私は「生」の状態しか探せなくて、未確認ですが、機会があれば是非!!!

    (ふつーだったら、ごめんね(笑))

    ではでは、安全第一!健康第一!逃げるが勝ち!で楽しい旅を!!!

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