2012年10月6日土曜日

メルー山に登ってみた。④









RHINO POINTと刻まれた石が立つ3800mでの景色は圧巻だった。雲で白くかき消された頂上に向かって、連なる峰々に沿いながら一本伸びている道。その右手にはタンポポのような小さな枯れ草しか生えることのない灰色の砂利斜面。すぐ左側は断崖で、その先の霞の中からぽっかり開いたクレーターが姿を見せた。溶岩が溶け出して固まったのだろう、火山岩が流れるようにして固まっている。目に映る全ての彩度が低く、不思議な美を醸していた。冷たく澄んだ空気から酸素を取り込もうと肺を膨らませる、そんな動作ですら野暮な音を立てているように感じるほどの静寂があたりを包んでいた。




山の峰を境に左右両方から風が薄い霧を運んでくる。正面から出会った霧はその場で渦になり、空気に溶け込んでゆく。眼前にそんな光景を見つめながら、一歩一歩を確かめるように、足をとられる砂利道を歩き続けた。
そんな砂利道を抜け、4000mに突入した頃だろうか、急に道が消え、3歳児の積み木遊びよりも乱雑に積み重なった岩岩に突き当たった。どう進むのかと不思議がりながら黙って近づくと、岩に汚い緑で矢印がぼんやり描いてある。当然それに従うわけなのだが、これが心底しんどかった。というのも、ロッククライミングかと突っ込みたくなるレベルの道が3時間は有に続くのである(ガイドに「あと40分くらいだ」と言われたときの僕の喜びを返してほしい)。突っ込む元気もなくなるというものだ。そして、頂上が見えない、というのが後半ボディーブローのように効いた。岩山を必死の思いで超えても、また更に岩山。霧のせいで終わりが見えないそれはエンドレス地獄に等しかった。高山病にはかからなかったが、それが逆に怖かった。過去になったことがないからどういうものなのかも分からないし、実際もうキてるのかもしれないぞこれは、なんて思いながらヤツが歩み寄ってくるのに受身でいるのは精神的にキツい。




ラスト30分は更なる地獄だった。今まで自分がどれだけ肉体的に辛い経験を欠いて育ってきたのか、ということが身に染みた。おぎの曰く、このときの僕は「超不機嫌」だったという。岩ひとつ登るのに全身全霊をかけ、その後20秒は息を整える努力をしないとまるで前に進めなくなっていく。両手を使わなければ登れないような岩が4個に1個くらいで現れて、その度に世界の終末を見てきたかのような顔で登り続けた(正確には死にそうになりながら岩を這っていた)。


頂上とそこに立てられたタンザニア国旗が終に見えた時の喜びといったら、筆舌に尽くしがたいレベル。360°濃霧に包まれていて、景色なんてのは何一つ見渡せなかったが、とにかく、とにかく、嬉しかった。
『4565m』、そう書かれた看板の前に崩れ落ちるように座りこみ、2本だけ持ってきた煙草を1本おぎのに手渡し、もう1本を口に咥えた。すっかり霜焼けてしまった震える手で『CAMEL LIGHT』に火をつける。今までCAMELはおっさん煙草だなんて思っていたが、最高に美味かった。タバコはシチュエーションだよな、なんてそう呟いた。


疲労ではっきりしない意識の中、感じたのは『感謝』だった。高山病にもかからず、薬なしで、初めての登山で、4565mまで辿り着けた。自分の体に感謝、そんな体をくれた両親に感謝、こうしてアフリカまで来させてもらったことに感謝、そしてこんな感動をくれた地球に感謝。もう感謝しまくりでエヴァンゲリオン最終話状態だった。



下りは下りで地獄で、ぷるぷる膝が微振動していた。再び砂利の一本道へ出たとき、見渡せば雲の層を抜け、夕日が西の雲海に溶けていくのが見えた。ふと振り向き東の彼方に目をやると、そこにはキリマンジャロが、ぼんやりと浮かび上がっていた。「でっけえなあ」、思わず足を止め、メルー山の夕景を堪能した。




ただでさえ一瞬である夕焼けから夜の訪れは、無心の下山中は更に一瞬で、暗闇の中手探りの岩壁移動は非常にスリリング。3800mで最後の休憩をとり、メルー山に大の字になって思いっきり横たわる。すると、今まで下ばかり見ながらで歩いていたから気づかなかったのだろう、一面の星空が広がっていた。綺麗な星空は今までに何度か見てきた、が、メルーの達成感を胸に見上げる星空は格別だった。と同時に、自分を超える遥かに大きいものに触れた時に時折感じる、ある種の気持ちよい卑小感を抱いた。随分空が近くなったとはいえ、たかだか4565mなのだ。宇宙から見たら視認すらできない小さな凸、それすら天空に届くほどの大山に感じる自分。ちっぽけだ、実に、ちっぽけだ。


ようやくキャンプ場に戻った時には既に9時をまわっていた。人口の明かりが見えたとき、無意識に安心して気が緩んだのか、全身から力が抜けるのを感じた。人生暫定一位レベルで疲弊していたが、夜は疲れすぎて逆に寝れない、という不思議現象に苛まれた。



翌朝部屋の外に出ると、東の雲海から真っ赤な朝日がちょうど昇ってくるところだった。雲の水平線で光が屈折しているのか、完全な球体ではなく、真ん中を握りつぶした林檎のような形に一瞬見える。それは本当に綺麗で、神秘的で、息をするのを忘れ数秒後慌てて深呼吸する程、ブレステイキングな風景だった。朝のコールを告げる太陽は徐々に穏やかにその色を変え、隣に聳えるキリマンジャロを眩く照らしている。小鳥の控えめな囀り以外に音はないほぼ無音のような状態で、僕の歯を磨く音だけが不自然なほど響き渡っていた。ボロボロの体で、歯ブラシを咥えいて、それが眩しくて直視できなくなるまで、ただただ立ち尽くした。

以前、何かの本でエベレスト登頂の話を読んだことがある。「山頂の耳をつんざくほどの静寂の中、強く冷たい風が山の間をくぐり抜け吹きつけた時、それに『神の声』を聞いた気がした」、と、確かそんな文が綴られていた。いつか登山をしてみたい、そう思い続けてきたのにはこの文章の影響が少なからずある気がしているが、4565mのメルーでは「神の声」を残念ながら聞くことが出来なかった。けれど、神様はこんな雲の上に、こんな美しい景色を隠してたのか、なんて思うと、そんな人間くさい神様の気持ちもスゴク分かる気がして何となく笑えてしまった。





…と、随分長くなってしまいましたが、「辛さとその後の感動は比例する」ってことを学んだ初登山・メルー登山記でした。やれば意外にできちゃうもんなのね!っていう再実感。けど、一人じゃ絶対どこかで諦めて登頂できてなかったです。おぎのと一緒だったから最後まで歯食いしばれました。ありがと、おぎ!

2 件のコメント:

  1. 初登山が4566Mとは、
    本当に大変だったでしょう。
    その分感動も大きかっただろうね。
    俺も富士のてっぺんで御来光見たときに
    そんな感じになったもんなぁ。
    お疲れ様でした。
    *ちなみにキャメルは日本ではもう販売してないよ。
     俺が愛煙していたたばこ・・・。
     それも山のてっぺんで。うらやましすぎ!(笑)

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    1. 次は僕も富士山登ってみたいです、いや日本アルプスもいいなあ。

      キャメルもうないんですか?!ショック!

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