2012年10月4日木曜日

メルー山に登ってみた。②




翌日、登山初日、ケニアで買ったつなぎを着た僕とおぎのはツアー会社が手配してくれたランドクルーザーに飛び乗った。万一猛獣が飛び出してきたときのためのナイフや、壮大な風景をバックに演奏するためのハーモニカをデイパックに詰め込んだが、この人生初の大登山にいささか舞い上がっていたのであろう、高山病薬ダイアモックスを買い忘れた。ちなみに結局ナイフもハーモニカも使わなかった。

アルーシャナショナルパークは東アフリカには珍しい森林帯の国立公園で、キリマンジャロとメルー山の間に位置している。公園内に登山口があるメルー山では「レンジャー」なる、禽獣から我々登山者の身を守ってくれる戦士を雇わなければならない。Mrクレバーと名乗る、おおよそクレバーさから懸け離れた風貌の男が、銃を担いで一緒に登ることになった。
黄色いNORTHFACEフリースがトレードマークの僕らのガイドに登山前に黒いビニール袋を渡され、中を見ると人参を摩り下ろしたものが挟まれたサンドイッチの小片と2枚のクッキー、半切れの貧相なオレンジ、そして親指ほどの極小バナナが入っていた。3食つきの登山で、小腹が空き始めたのもあり、「軽食なんて粋な計らいだなー」なんて言いながらものの数分でそれらを食べ終えた。ちなみにそれが実は初日の昼食で、他の登山者がチキンを美味そうにほお張るのを眺めながら空腹に苦しんだ。

僕は自他共に認める文化部タイプの人間だ。高校は帰宅部、大学も文化系サークルのみという徹底したアンチ運動人生を歩んできた。体系は痩せ型、体力根性は辛うじて人並み程度と自負しているが、高3の体力測定でシャトルラン102回を達成し、いい汗かいたぞーなんて帰宅したら妹2人とも自分より記録が良かったのは苦い思い出だ。そんな自分だけに、4000m級登山に対して少なからず体力的な不安はあったが、初日の道のりは恐ろしく腹が減ったことを除けば問題ないと言えるレベルだった。









緩い傾斜を6時間、距離にして14km程、淡々と歩き続ける1日目。山道脇は木々が生い茂る密林で、時折キリンやイノシシを見かけた。登り始めこそ日本で見たことのない草花を眺めながら「もののけ姫の世界みたいだなー」などとウキウキしていたが、直に疲労と空腹から無心かつ無言で歩くようになった。


景色も段々見飽きてくる。見晴らしが悪いので、どのくらい登ったのかも分からない、というより山を登ってる感じがしない。切り取られた狭い空に、ついため息が漏れてしまう。ジャングルから「ガガガガガガガガガっ」と、ヒョウの威嚇音が聞こえてきたときは「冒険のニオイがする!」とテンションが上がったものの、それもつかの間、太陽が傾き始めた頃にはすっかり疲れきっていた。




そんな時だった。突然ジャングルから一転、目の前に開けた土地が広がった。3方を山に囲まれたそこからは、自分たちが目指す頂がハッキリと見えた。クレーター的な地形なのだろうか、火山石のような砂利が広がるその場所には、花や木が先ほどまでのジャングルと違って控え目に顔を出している。そして、雲の割れ目から「天使の梯子」が降り注いでいた。途中拾った冒険の杖(棒切れとも呼ぶ)をすわり心地の良さそうな岩に立て掛け、その風景に魅入った。今日はもうこのくらいにしてやろう、といった風な太陽が、いい感じの色に染まり始める。今日一日のご褒美だった。



そこから「え、せっかく登ったのに!」と思わず抗議したくなるような坂を下り、初日のキャンプに辿りついた。2500m。エチオピア以来の高地だ。いくらか肌寒さを感じる。登山口からずっと姿を見せなかったガイドは、どうやら別ルートでキャンプに辿り着いたようで、盆一杯のポップコーンとミロ缶を準備するという粋な計らいをみせた。


腹が満たされた余韻に浸っていると、おぎのが呼ぶ声がする。呼ばれるままに食堂の上にある展望台的な場所へ登ると、眼下に茜色に照らされるタンザニアの大地が広がっていた。日本で無限に続く田園風景を見ても「大地」って言葉は使わないが、2500mから見下ろしたそれは「大地」そのものだった。地球が丸い事を再実感させるように緩い弧を描く地平線、その彼方が、一日の仕事を終えた太陽が沈んでゆくと共に、薄い夜の色に染まっていく。昼間耳にしていたセミや小鳥の合唱は止み、鈴虫的な鳴き声が控えめ且つ哀愁を帯びた調を奏でている。早くも軋む足を抱えて、その風景を見つめていた。そして夕飯は最高に美味かった。

(つづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...